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【織々ノ記】#100 100日間書いた猫

2023年6月11日

 こんにちは、橘です。

 3月4日に日記の更新を始め、毎日投稿し続けて今日で記念すべき100日目になりました。なのでタイトルをいつもの「○○と●●」という規則から変えて、「100日間書いた猫」にしました。

 嘘です。すみません。さっそく嘘をつきました。

 正確にいえば、「100日分の日記を書いた猫」です。毎日投稿ができずに3日分まとめて更新した日もあったので、100日間毎日更新したわけではありません。あ、「猫」の部分は本当です。にゃーん。

100日間続けてみて

 さて、100日間書き続けた1番の感想は、やっぱり毎日続けるのはしんどいなぁという気持ちです(そりゃそうじゃ)。

 日記を始めた当初は100日間も続くとは思っていなかったし、過去の自分と同じく、どうせまた3日坊主で終わるだろうと高をくくっていました。

 それがこうして100日目を迎えることができたのは喜ばしい一方で、終盤、特にここ1週間はまとめて一気に投稿する日が続くなど、毎日投稿が自分に向いていないなと感じる日々でした。

 ただ、あくまでも自分には向いてないというだけで、毎日投稿することが全然苦でない人もたくさんいると思います。今回の話はあくまでも「自分は毎日投稿できない」と感じた人が、なぜそう感じたのかの原因を参考までに綴ったまでです……。

反省点①縛り

毎日続けるという縛り

 今までの日記の中で「毎日続ける必要はなくて、義務感を覚えたら却って書きづらくなる」と度々自分に言い聞かせていたのですが、それでもやっぱり「ここまで来たら毎日更新しないと……」と感じることが多くありました(特に折返しの50日を越えたあたりから)。

 「100日間更新します」とか「毎日投稿続けます」みたいに対外的に宣言していない自分でもこうして義務感を感じて苦労したので、宣言している人でちゃんと更新している人は本当にすごいなと思います。

 至極当たり前なことですが、「毎日投稿」というある種の縛りを課してもやる気がでる人は向いているし、却ってプレッシャーを感じて筆が鈍る人は向いていない、という話に尽きます。

タイトルという縛り

 タイトルに縛りを設けたのもやりづらさを感じた点でした(自分で縛っておいてなんですが)。最初の3,4回以降は全部「○○と●●」というタイトルで統一して更新し続けました。

 実は日記以外の普段の記事のタイトルも何らかの作品のパロディ縛りをしているのですが(これは『さよなら絶望先生』の影響)、それよりも何倍も面倒でした。特にその日一日に特出した出来事が無かった日は、2つ以上のトピックを探すのにかなり苦労しました。

 また、この縛り方だと魅力的なタイトルをつけることができず、ビュー数を稼ぐことができませんでした(タイトル以外にも問題はあるでしょうが)。もっと沢山の人に読んでほしいのであれば、それなりにキャッチーなタイトルが必要だと思います。

反省点②目標

文章を書くゴール

 先に義務感を覚えたら書きづらくなる、という話をしました。確かに毎日欠かさずにという気持ちはさほど大事では無いと今でも思っていますが、一方で、日記(=文章)を書くにあたっての目標は設定すべきだったと思います。

 100日間毎日更新するぞという「期間」に標準を当てた目標も大事だと思いますが、自分がどういう文章を書きたいのか、あるいは書きたいのか、といった「文章力」に注目した目標が何より必要だと感じました。

 日記を始めた当初、一応「普段思ったり考えたりしていることの思考整理」と「文章力の向上」を目標に定めていましたが、100日間でその目標を意識的にして書けていた日は少ないと振り返って思います。

 「どんなに駄文でも、n日間続ければいつか上達するはずだ!」と考えていたこともありましたが、ゴールを設定しなければ文章力のグラフはいつまで経っても横ばいのままです。

読者意識

 また、日記を書きながら文体だったり語り方だったりが定まらなくて、これは一体誰に向って書いているんだと自問することも何度かありました。

 いいねがなかなか来ないとそうした「誰のために」という観点が抜けやすくなると思いますが、それにしたってもう少し読者のことを考えなければならなかったと反省しています。

 これは自分がひたすら壁打ちをしたいのか、誰かとキャッチボールしたいのか、あるいはどでかいホームランを打ちたいのか、個々人の目標に因るとは思います。

 ただ、最近大学でとある教授に教えていただいた「論文・レポートは読者を意識しろ」という言葉の通り、たとえ文章の「練習」であっても、noteというインターネットの海に放流する以上、「対読者意識」は必要不可欠だと強く感じています。

反省点③内容

 上記のような具体的な目標がなかったが故に、文章の内容(クオリティ)が低いものになってしまったと感じています。内容面に関しては反省する点が多いです。

執筆の取り組み方

 まず、自分が日記を書く際、noteをいきなり開いて、思いついたことをそのまま書き連ねることが多かったです。

 ただ、これだと本当に脳内をそのまま出力した形になって、構成もへったくれもない、何が言いたいのか分かりにくい文章になってしまったと反省しています。

 また、脳内そのままだと全てを語りつくそうとしてしまい、冗長でだらだらとした文章がいつまでも続いてしまいます。そうなると1つの記事を書き上げるのに何十分もかかってしまい、余計に毎日更新することが困難になってしまいました。

 「毎日更新する」用の文章と、「週に1回・月に1回更新する」用の文章は使い分けないといけないと思います。

 ただ、毎日用でも月1用でもどちらにしても、わかりやすい文章を書くには、いったんメモアプリでもなんでも良いから、書きたいことを下書きして整理してから、本文に取り掛かったほうがいいと思います。

構成の問題

 構成で言うと、#85 の日記の構成は良かったと我ながら思っています。トピックは全部で3つとちょうどよく、1つのトピックに対して、概要→細かい内容→総括・締めというの流れで書くことができました。

 こうしてみるとこの構成は、普段自分が塾で教えている「序論・本論・結論」の作文の構成と同じだと気づきました。

 もちろん作文や小論文みたいにかっちりとした構造で書こうとするとかなり骨が折れますし、堅苦しさが出てしまいますが、これを自然にかつ無意識にできるになると相当文章力が身についたことになるのではないかと感じています。

 自分はまだまだそんな領域には到達していませんが、普段書く何気ない文章でもそうした構成の意識を持って書いていければと思います。

語り口の問題

 ここまで書いてきて改めて感じていますが、自分の文章の特徴として同じような表現が多く、語り口がワンパターンであることが挙げられると思います。

 普段の日記では「〜したい」「〜しなければならない」の語りが多かったですし、この記事では「〜と思います」「〜と感じています」の語りがほとんどです。小学生かよと自分で突っ込みたくなります。

 普段の日記で、自身の課題を見つけ改善しようとする姿勢は結構ですし、日記としては十分なんでしょうが、人に読ませるエッセイとしては魅力がなさすぎる文章です。

 先に言ったように、読者を獲得するような文章を書きたいという目標があるのであれば、その内容は魅力的でないといけないでしょうし、それなり工夫を模索し続ける必要があるでしょう。

これからについて

 とりあえず100日目というわかりやすい節目・区切りを迎えることができたので、今後は毎日投稿には一層こだわらず執筆を続けていこうと思います。だからといってまた目標を立てずにいると、次の更新が半年後とかになりかねません。

 ということで、今後は週1投稿にして、その1週間であったことをまとめる形で今後も日記を継続していこうと思います。更新頻度は下がりますが、1週間の出来事をまとめるには結局毎日ネタを探すことになるので、労力としては格段に楽になるわけではありせん。

 ただ、毎日アップロードするために文章を推敲する手間が省けるだけでも、気軽に文章を書けると思っています。時間のある土日に平日分の下書きをまとめて投稿する、という形に今後はしていきます。

 内容としては、日記ではありつつも、エッセイとして読めるレベルを目指して文章練習に励んでいきたいと思っています。また、日記に限らず、簡単な習作(小説・短歌・詩)も同時並行でぼちぼち投稿できれば良いなと計画しています(実現できるかは微妙)。

 毎日でなくてもいいから、とにかく走り続けることが大事であると今回の100日間の日記執筆を通じて感じました。

 さてもさても、これからお送りする週刊「織々ノ記」、誰も期待はしていないと思いますが、どうぞ今後もよしなに。

それでは、今日はこのあたりで。さようなら。

(了)