🌱学校に行けない子に対する「心配」の変化
子を心配する気持ち
子が元気に学校に通っているとしても、
我が子の将来は気になるし、心配もしますよね。
それはもう当たり前、親ですから。
我が子はしっかり学んで成長するかしら?
我が子が自分の力で生活していけるかしら?
我が子も家庭を持って幸せに暮らせるかしら?
これらはいたって自然な親の気持ちです。
それが学校に行けない子となれば、
親としてはなおさら心配になります。
もちろん私もそのひとり。
今も多少?心配はあります。
ただ自分の経験として、
当初の「心配」の種類から変わってきた感があります。
「今日明日の心配」を手離すまで
子が学校に行けなくなった初期段階は
ひたすら目先の状況に大混乱していました。
どうしたらいいのだろうかと毎日毎時間考え、
今日明日のことで精一杯でした。
きっと子供の不登校を経験された親御さんは
大多数がそうだったのではないでしょうか。
「昨日は行けなかったね、今日は!?」
「今日も行けなかったよ、明日は!?」
私も最初はその繰り返しでした。
子供の状態に毎日振り回されて
それだけでぐったりしてしまうのですよね。
しかしそんな日々が続くと、
徐々に心境が変化してきました。
学校よりも子の命の方が大事なんだから!
という考えにシフトチェンジした頃
私は今日明日の心配を手離すことにしました。
長い人生、
1日2日どうこうしたって大したことない。
長期休暇があってもいいじゃない、と。
疲れ切って傷ついた我が子の姿に、
学校に行かせている場合ではないという
考えに変わってきたのです。
…しかしそこには
「きっとどこかで盛り返すに違いない」
なんていう気持ちがあったのだと
後で気づくことになります…
子供が少しずつ回復傾向になった頃、
親はまた変にソワソワし始めます。
「そろそろ学校行けるのかしら?」
なんて、ついつい思ってしてしまうんですよね。
長く休んだから、元気も溜まってるんじゃない?
家で元気に遊んでるんだから、もう大丈夫じゃない?
でもそれって実は、
子を心配しているのは事実ではありますが
それよりも「親の期待」が勝っているのですよね。
つまり…
っていうような。
子供に回復の兆しが見えてきた頃、
私自身を振り返ってみても
親として疲れも溜まっていたのでしょう。
不安や心配を子にぶつけずに
心の中にじっと留めていた自分のことを
そろそろ労わりたくなってきていたように思います。
そんな最中に
家でゲームに熱中していたり、
動画見てけらけら笑っている子供を見ていたら
「私のこの気持ちをどこにもっていけと!?」
という感情が湧くのも致し方なしなのかも。
と同時に、もう無くなったと思っていた
「学校に戻って欲しい」
という感情が、実は奥底に眠っていたことに
改めて気付いたのです。
自分の深層心理に向き合って、
再度自問自答しました。
私は子供にどうなって欲しいと思っているのか。
究極の答えは1つでした。
自分の人生を自分らしく楽しんで欲しい
それに行きついてからは本当の意味で
子供のことを見られるようになったように思います。
もちろん、冒頭にも書きましたが
「心配」がゼロになったわけではありません。
楽しんで欲しいと願っているがゆえに、
「今日は○○君と話せなかった」と聞けば
寂しい気持ちになっているのでは?と思うし(次男)
「友達をなかなか作れない」と聞けば
できることがないためにそりゃ心は痛みます(長男)。
しかし、彼らが私に何かぶつけてきたり
相談してきたりした場合に
私の考えを話すことはありますが
基本的には彼らが自分で切り開いていくと
信じて待つ姿勢になることができました。
すでに何度も書いていますが
親と子は別人格
子は子の人生を生きますし
親は親の人生を生きなければなりません。
子に依存したり
自分の期待を背負わせたりするのは
親のエゴなのですよね。
「心配」するなとは言いません。
「心配」はしてもいいのですし
したらいいんです、親ですし😊
ただ、それを子に背負わせない。
きっとそれが
親にとっても子にとっても
少しでも早く心が救われるための
1つの方法ではないかなと思います。
必要な方に届きますように✨
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