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風雅な格言集『幽夢影』③~「人は閑(ひま)より楽しきは莫し・・・」
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人は閑(ひま)より楽しきは莫し。
事を事とする所無きの謂いに非ざるなり。
閑なれば則ち能く書を読む。
閑なれば則ち能く名勝に遊ぶ。
閑なれば則ち能く益友と交わる。
閑なれば則ち能く酒を飲む。
閑なれば則ち能く書を著す。
天下の楽しみ、孰(いず)れか是より大ならん。
(清・張潮『幽夢影』より)
――人にとって暇より楽しいものはない。
何もせずにブラブラしているということではない。
暇なら、書物を読むことができる。
暇なら、景勝に遊ぶことができる。
暇なら、良き友と交わることができる。
暇なら、酒を飲むことができる。
暇なら、本を書くことができる。
この世の楽しみで、これより大きなものがあろうか。
「閑」について
「閑」は、「閑居」「閑談」「清閑」「長閑(のどか)」などと言う時の「閑」です。
「暇(ひま)」と訳していますが、やることがなくて時間を持て余すという意味ではありません。
「閑」は、仕事に追われることなく、生計を顧慮することなく、のんびりと余計なこと、無駄なことに没頭する時間的、精神的なゆとりを持てる境地のことをいいます。
張潮の生きた明末清初の時代、江南の知識人の間で「賞玩文化」が熟成されていました。
洗練された有閑文人たちは、俗事に携わることなく、園林の邸宅で、書画・工芸・奇石・花卉などの世界に耽溺する優雅な日々を送っていました。
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人莫樂於閑
非無所事事之謂也
閑則能讀書
閑則能游名勝
閑則能交益友
閑則能飲酒
閑則能著書
天下之樂孰大於是