「殺身成仁」
『論語』の「殺身成仁」
「仁」は、儒家の説く最高の徳目である。
「仁」とは、人を愛し慈しむことであり、人間らしい親愛の情を言う。
孔子は、為政者はこの「仁」の徳によって政治を執り行うべきと説いた。
『論語』「衛霊公」で、孔子はこう語っている。
――道に志す人、「仁」の徳を持つ人は、命を惜しんで「仁」を損なうようなことはない。命を捨ててでも「仁」の徳を成し遂げようとするのだ。
この章句に由来する四字熟語「殺身成仁」は、「一身を犠牲にしてでも人間らしい心を守り通す」という意味だ。
「仁」は何ものにも譲れないのである。
「殺身成仁」は、生命を軽んじているわけではない。
『孝経』に「身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」とあるように、身体は親からもらったもの、傷つけてはならない大切なものである。
その大切な身体よりももっと大切なものが「仁」であるとしている。
『孟子』の「舎生取義」
「義」は、物事の宜しきを得、正しい筋道にかなっていることを言う。
『孟子』「告子上」で、孟子はこう明快に述べている。
――「仁」は人が持っている本来の心、「義」は人が踏み従う道である。
ここでは、内面的・情緒的な美徳である「仁」と、外面的・規範的な道徳である「義」を並べて説いている。
同じく「告子上」には、「義」に関する次のような一節がある。
――魚はわたしが欲するものである。熊の掌もわたしが欲するものである。だが、両方を得ることができないなら、わたしは魚を捨てて熊の掌を取る。命はわたしが惜しむものである。「義」もわたしが惜しむものである。だが、両方を得ることができないなら、わたしは命を捨てて「義」を取る。
ここから「舎生取義」という四字熟語が生まれた。「命を犠牲にしても正義を守る」という意味だ。
大切な生命よりももっと大切なもの、それが「義」であるとしている。
「殺身成仁」と「舎生取義」は、それぞれ「仁」と「義」が何よりも重要であることを強調・誇張するレトリックである。
「殺身成仁」を体現した二人
2001年1月26日夕刻、東京のJR新大久保駅、酔って線路に転落した男性を助けようとして、韓国人留学生の李秀賢さんと横浜市のカメラマン関根史郎さんの二人が線路に降りて命を落とした。
李さんの告別式には、森善朗首相、河野洋平外相らをはじめ多くの政府関係者も弔問に訪れた。
金大中大統領からは、このような弔電が寄せられた。
李さんが通っていた高麗大学では、彼に名誉卒業証書を授与し、韓国政府は国民勲章を授与するとともに、遺族に1億2840万ウォン(約1200万円)を
一時金として支給した。
のち、李さんの御両親が寄付した1億ウォンをもとに設立した奨学会は、
日本へ留学するアジアの学生たちに奨学金を給付している。