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賈宝玉と林黛玉~『紅楼夢』の貴公子と悲劇のヒロイン

清代の長編小説『紅楼夢こうろうむ』は、絢爛豪華な貴族の家庭を舞台に繰り広げられる貴公子と少女たちの情愛物語です。

『紅楼夢』については、先日記事をアップしました。↓↓↓

今回は、主人公である貴公子賈宝玉かほうぎょくと悲劇のヒロインである美少女林黛玉りんたいぎょくについて少し詳しく触れたいと思います。

賈宝玉

賈宝玉は、大貴族賈家の次男として生まれます。通霊宝玉つうれいほうぎょくを口に含んで生まれたため「宝玉」と名付けられました。

賈宝玉

賈宝玉は、祖母史太君したいくんに溺愛されて育ちます。繊細で優しい顔立ちの美少年で、『紅楼夢』の物語ではまだ10代前半の若さです。

賈宝玉は、彼を取り巻く少女たちに深い思いを寄せたり心底同情したりする女性崇拝の傾向があり、一方、陳腐な価値観で生きている世の男たちを嫌悪します。「女の子は水でできた身体、男は泥でできた身体」というセリフのように、賈宝玉にとって、無垢な少女が清浄な美の象徴であり、汚れた大人の男性が醜悪な社会の象徴でした。

賈宝玉は、当時の士大夫の伝統的思想に反撥して、立身出世のための科挙の受験勉強を嫌い、詩詞や戯曲に耽り、賈家の邸宅大観園だいかんえんで多くの少女たちに囲まれて日々遊び暮らしています。

大観園

林黛玉

林黛玉は、裕福な家に生まれますが、幼少の頃に母親を亡くし、父親は遠方で官職に就いていたため、母の実家である賈家に預けられます。

林黛玉

林黛玉は病弱な体質ですが、容姿は柳のように繊細でほっそりとした美しさがあります。賈家では居候のような暮らしをしているため、つねに孤独感を抱え、目にはいつも憂いを帯びた表情を浮かべています。

林黛玉の性格は非常に繊細で感受性が高く、内向的で情緒が不安定な一面もあります。敏感で疎外感が強く、不安や悲しみで涙を流してばかりいます。

賈宝玉と林黛玉

賈宝玉と林黛玉が初めて出会った時、互いに「どこかで会ったような」という不思議な親近感を覚えます。これには、前世からの宿縁があります。

天上界の太虚幻境たいきょげんきょう神瑛侍者しんえいじしゃという仙童が絳珠草こうじゅそうという草に毎日甘露を注いでやり、そのおかげで絳珠草は女人の姿に変わった。のちに、神瑛侍者は凡心を起こして下界に降り賈宝玉となる。絳珠草は、甘露の恵みに対して自分が一生の間に流す涙を以て恩返しをしようと後を追って下界に降り林黛玉となった。

こうした宿縁のゆえ、初対面の賈宝玉と林黛玉は、以前から知り合いであったような感覚を抱いたのです。

賈宝玉と林黛玉が互いの理解を深めるきっかけとなったのが「黛玉葬花」の名場面です。

賈宝玉が園内で『西廂記せいしょうき』を読みふけっていると、桃の花が一陣の風に吹かれ、辺り一面に花びらが散り敷かれる。そこへ林黛玉が花鍬と花箒を持ってやって来る。宝玉が「花びらを掃き寄せて川の水に流してくれないかい?」と頼むと、黛玉が言う、「わたし花塚をこしらえてありますの。花を掃き寄せたら、絹の袋に入れて土に埋めてやりますわ。いつか土に還りますから、きれいなままでいられますわ」

『西廂記』は恋愛小説をもとに改編した戯曲です。当時、士大夫の子弟が読むべき書物は科挙受験に資する儒家の経典であり、小説や戯曲を読むのは淫らなこととして戒められていました。

この時、黛玉は宝玉から渡された『西廂記』を読んで感銘の余り気が抜けたようになります。二人は『西廂記』の台詞を引きながら談笑し、同じ感性と価値観を持つ者同士で意気投合し、互いに惹かれ合うようになります。

のちに、林黛玉は花を埋めた場所を再び訪れ、

われいま花を葬るを人はと笑わん
他年儂を葬るは知んぬ是れ誰ならん
一朝にして春尽き紅顔老いなば
花落ち人亡くふたつながら知らず

と涙ながらに詩を詠じます。葬られた花に自分の境遇を重ね合わせて歌い、来たる悲劇を予感させています。

さて、賈宝玉の傍にはもう一人の女性薛宝釵せつほうさがいます。林黛玉とは正反対の性格で、豊満な健康美に溢れた良妻賢母型の女性です。

薛宝釵

賈宝玉と林黛玉は互いに心を寄せ合っていましたが、周囲の者が宝玉の伴侶に選んだのは、伝統的価値観から理想的な女性である薛宝釵の方でした。

賈家の家長たちは宝玉を欺いて、強引に薛宝釵との婚姻を進めます。それを知った林黛玉は深く傷つき病に倒れ、宝玉と宝釵の結婚式の最中に血を吐いて亡くなります。

賈宝玉と林黛玉の身に起きた悲劇は、伝統的な封建社会の重圧が自由を希求する若者の精神を押しつぶした結果と言えます。

『紅楼夢』は、大観園で繰り広げられる貴公子賈宝玉と林黛玉ら美しき少女たちの「情」の世界を描いた一大絵巻であると同時に、封建道徳の不条理を訴える社会批判の文学作品でもあると言えるでしょう。


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