あぶない『論語』~儒教の功罪
中国の伝統思想は、儒家思想である。
道家思想もシェアは広いが、万年野党みたいなもので、与党の座は常に儒家が占めてきた。
老子がどれだけ裏で人気があっても、表舞台では孔子に勝てない。
『論語』は、儒家の最も重要な経典である。
元祖孔子の言葉なのだから当然である。
ところが、この『論語』、極めて雑な書物である。
非体系的と言うか、全くまとまりがない。
20篇から成るが、時系列で並べているわけではなく、主題別に整理しているわけでもない。
師匠がこんなことをおっしゃった、と弟子がメモして寄せ集めたものだ。
篇名も「学而」とか「為政」とか、各篇第1章の冒頭の2、3文字から取っている。と言うのも、中身のテーマがバラバラなので、内容に沿った篇名を付けようがない。
各章句の記述は断片的で、章句間の繋がりがなく、字数も長短バラバラだ。
他の文化圏の聖書や教典と比べると、『論語』は経典っぽくない。
さて、体裁はさておき、『論語』の中身はどうだろうか。
『論語』は、貴重な知恵の宝庫だ。
儒家思想は、広く漢字文化圏で人々の生活に深く浸透している。
日本でも、『論語』を処世訓や座右の銘としている人は多い。
「功罪」という言い方をすれば、「功」は絶大である。
東洋の精神文化の支柱となってきたことは論を待たない。
ところが、客観的に、一歩下がって『論語』を眺めてみると、
「罪」の部分も、思いのほかパーセンテージが高い。
儒家は、中国人の精神世界を支配してきた伝統思想である。
人倫を安定させ、社会秩序を保つのには有効な思想である。
為政者にとって都合がいいので、ずっと主流を占めてきた。
その一方、儒家思想は、合理性、創造性に欠ける。
自立的な精神の発展を妨げる桎梏となることも多々ある。
儒家の教義や儀礼には、不条理な「教え」や「しきたり」も多い。
したがって、抑圧的な社会環境をもたらす結果にもなる。
張岱年(1909~2004)という哲学界の大御所がいた。
中国の伝統文化について、こんな発言をしている。
「糞土」とは、なかなか辛辣だが、具体的に何を指しているのか。
張氏は、こうして中国の伝統文化の悪習や弊害をズバリ指摘している。
ここで言う伝統文化とは、イコール儒家思想である。
張氏のこうした儒家批判の文章の多くは、当時の中国政府が削除している。体制にとって都合のいい思想にケチをつけられては都合が悪いのである。
『論語』を紐解くと、孔子の教えには、張氏の発言に頷ける箇所がいくつもある。
言わずと知れた、『論語』巻頭の一句だ。
そもそも、この「学」というのが曲者だ。
『新字源』で「学」を引くと、第一義に「まなぶ」とあり、その細目は、
(ア)まねる (イ)ならう (ウ)さとる
となっている。「まねる」が一番先なのである。
「学」とは、すなわち真似ることだ。
何を真似るかと言えば、師匠や先哲の言行を真似る。
学校教育で言えば、先生の朗誦する詩文を生徒がそのまま朗誦する。
意味などわからなくていいから、とにかくオウム返しで朗誦する。
これが「学」の基本であって、現代の小学校でもこうした風景が見られる。
学んでも、考えないと、ぼんやりしたままになる。
考えても、学ばないと、独断に陥って危ういことになる。
「思」は、自分の頭で考えることを言う。
孔子は、「学」と「思」のどちらを欠くのもよくないと語っている。
ところが、また次のようにも語っている。
飲まず食わずで考えたけど埒があかない、やっぱり学ぶことにした、という経験談だ。
孔子の教えでは、「思」より「学」が優先されるのである。
教える側の孔子は、「述べて作らず」、つまり陳述するだけで創作しない。
孔子の学問は、「祖述」なのである。古の聖賢の道を受け継いで述べるだけで、自分自身の新しい説を唱えたりはしない。
「信じて古を好む」のだから、古いものを古いまま次代へ伝え授けるというのが孔子の学問だ。
さて、話を変えて、「孝」もまた曲者だ。
家庭にあっては父母に孝行を尽くし、世間に出ては目上の者に従順であれ、という教えである。
「孝」は人倫の根幹だ。これを否定したらバチが当たる。
とは言え、孔子の唱える「孝」は少々厄介だ。
「孝」は美徳であるが、その反面、人間関係を硬直化させる。
「孝」と言えば聞こえはいいが、要は、絶対服従だ。
父親の言うことは、すべて子には「教え」である。
ダメ親父がとんでもないことを言っても、息子は従わざるを得ない。
弟子の有子(名は若)が、こう語っている。
「孝弟」(=孝悌)の者で、目上に逆らったり、世の中を乱したりする者はいない、と語っている。
為政者にとっては、この上なく都合のいい話だ。
「孝」が最も厄介になるのは、葬礼だ。
古のしきたりでは、親が亡くなると3年の喪に服す。
衣食住を簡素にし、役人であれば公職から退かなくてはならない。
ある時、弟子の宰我(名は予)が、孔子に向かって大胆な発言をした。
3年の喪は長すぎて生活に支障が出るので、1年で宜しいのでは、と宰我が提言した。
すると、「お前は1年経てば、旨いもの食べて綺麗な服を着ても平気なのか」とたしなめられる。
「平気です」と答えると、孔子は不機嫌になり、宰我を「不仁」と呼んだ。
宰我は、弁舌に長けた弟子で、今風に言えば合理主義的なところがあった。
孔子にとっては、「仁」を重んじること、「しきたり」を守ることが大切であって、合理的かどうかなどはまったく考慮しない。
概して、孔子の教えは融通が利かず、不条理なものが少なくない。
このように、儒家思想は、中国人の精神文化を育んだ一方、妨げとなった面があるのも否めないのである。
今日は虫の居所が悪いのか、長々と『論語』にケチをつけてしまった。
21世紀の日本に生きている人間が、2,500年前の中国の思想について、現代の価値観でとやかく言うのは的外れかもしれない。
そもそも「自由」や「平等」という概念は孔子の時代には存在しないので、そうした尺度で物を言うのは妥当ではない。
とは言え、負の面を看過して、『論語』を金科玉条の如く称賛したり、闇雲に美化したりするのもまた、あぶないのではないだろうか。