中国古典インターネット講義【第21回】通俗小説③~『紅楼夢』と『儒林外史』
曹雪芹と『紅楼夢』
清代の長編小説『紅楼夢』は、絢爛豪華な貴族の家庭を舞台に繰り広げられる貴公子と少女たちの情愛物語です。
作者は曹霑、号は雪芹、清朝の乾隆年間の人です。南京屈指の名家に生まれ、豪奢な環境の中で少年時代を送りました。
祖父曹寅は官僚として康熙帝の信任篤く、帝は南巡の際、四度その家を行在所としました。
ところが、のち帝位継承に伴う紛争の余波を受けて、雍正帝の時代になると、家産を没収され、北京郊外に移住し、貧窮の生活を送りました。
晩年の約十年間、小説『紅楼夢』の執筆に打ち込むましたが、未完のままに終わりました。
現行の120回本は、前半80回が曹雪芹の原作です。後半の40回は原稿が散逸してしまい、補われないまま曹雪芹が死去しました。
のちに、高鶚(字は蘭墅)が補筆したとされていますが、後半40回には、原作者曹雪芹の意図が正確に受け継がれていない所があると言われています。
なお、原作者、補筆者のいずれにも異説があり、いまだ確証はありません。
『紅楼夢』の概要
主人公の貴公子賈宝玉は、祖母史太君に溺愛されて育ちます。当時の士大夫の伝統思想に反撥して、立身出世のための科挙の受験勉強を嫌い、詩詞や戯曲に熱中し、賈家の大観園で多くの若い女性に囲まれて、日々蝶よ花よと遊び呆けています。
大観園は、賈家に造営された広大な庭園で、その中に点在する建物に、賈宝玉や林黛玉、薛宝釵ら少女たちが各々別に召し使い付きで暮らしています。
ヒロインの林黛玉と薛宝釵は、どちらも才色兼備の少女ですが、容貌・性格は対照的です。
林黛玉は、繊細で病弱、知的で感傷的、愁いを帯びた風情が美しい女性、
一方、薛宝釵は、円満で豊麗、健康美に輝き、良妻賢母型の女性です。
賈宝玉は、自分のよき理解者である林黛玉に心を寄せていましたが、周囲の者は賈宝玉を欺いて強引に薛宝釵との結婚を挙行します。その婚礼の最中、林黛玉は悲嘆の余り血を吐いて亡くなります。
やがて賈家の家運は傾き、不幸な出来事が相次ぎ、愛する女性たちも一人また一人と身辺から去っていく中で、賈宝玉は世の無常を悟ります。
のち、科挙に優秀な成績で及第しますが、ある日、夢の中で「太虚幻境」を訪ねて全ての因果を知ると、家も名誉も棄てて何処ともなく姿を消します。
「情」の文学
『紅楼夢』は、曹雪芹の自伝的要素を多分に含んだ架空の物語で、登場人物男女計400人以上が織りなす一大絵巻です。
大貴族の家庭の繁栄から没落に至るまでの過程を追いながら、作者の分身である賈宝玉とその周りの少女たちとの「情」の世界を軸にして、さまざまな人間模様を甘美で哀切な筆致で微細に描いています。
『三国志演義』を「武」、『水滸伝』を「侠」とするならば、『紅楼夢』は「情」の文学と言ってよいでしょう。
『紅楼夢』は、作者の人生美学に裏打ちされ、思想的、哲学的な要素の濃い作品です。
賈宝玉の目には、彼を取り巻く現実の社会すべてが醜悪なものに映ります。
賈宝玉は、封建的な社会習慣や伝統思想の重圧・束縛から逃れて自由な生き方を渇望し、純真無垢な少女たちとの情の世界に身を任せます。
少女たちの年齢はみな10代前半です。
「女の子は水でできた身体、男は泥でできた身体」
という少女崇拝にも似たセリフからわかるように、賈宝玉にとって、無垢な少女が清浄なる美の象徴であり、世の男たちが醜悪な社会の象徴でした。
二重構造の物語
「天上界」と「地上界」
『紅楼夢』の物語は神話の世界で幕を開けます。
女媧が五色の石を使って天の綻びを補った時、1個だけ使われずに捨てられてしまった石がありました。この石が僧侶と道士に連れられて通霊宝玉として人間界に生まれ落ちます。石が後に天上界に戻り、人間界での遍歴を語ったというのが、この『紅楼夢』の物語です。
このことから、『紅楼夢』は、別名『石頭記』とも呼ばれます。
賈宝玉は、通霊宝玉を口に含んで生まれました。ですから、石の人間界での遍歴というのは、すなわち賈宝玉の人生そのものということになります。
賈宝玉と林黛玉の出会いは宿命的なものでした。
天上界の太虚幻境では神瑛侍者という仙童が、絳珠草という草に毎日甘露を注いでやっていました。そのおかげで絳珠草は女人の姿に変わります。
のちに、神瑛侍者はふと凡心を起こして下界に降り、人間に生まれ変わって賈宝玉となります。絳珠草は、甘露の恵みに対してせめて自分が一生の間に流す涙を以て恩返しをしようと、後を追って下界に降り林黛玉となります。
そのため、賈宝玉と林黛玉は、初対面の時、互いに「どこかで会ったことがある」と感じるのです。
太虚幻境の主宰者である警幻仙姑のもとにいた多数の仙女たちもみな後に続いて美しい少女に生まれ変わり、「金陵十二釵」「副十二釵」「又副十二釵」となって賈家の邸宅に集まります。
賈宝玉と少女たちの間に繰り広げられる哀歓は、実は、太虚幻境での出来事を地上に移したものにほかなりません。彼らの運命は、初めからすべて警幻仙姑によって定められていたのです。
「夢幻」と「現実」
『紅楼夢』は、夢幻と現実が綯い交ぜになった物語です。
物語は、都(どこかは特定されていませんが、おそらく北京)の賈家で展開します。
ところが、これとは別に、賈家の本籍地である金陵(今の南京)に甄という一族がいて、そこには甄宝玉という名の少年が少女たちと暮らしているという設定になっています。
小説の第六回、賈宝玉が昼寝をしていると、夢の中で鏡に映った自分に導かれて甄宝玉に出会います。二人は瓜二つで、外見も性格もそっくりです。
賈宝玉が現実世界の者で、甄宝玉は夢幻の世界の者ということになります。
ところが、「賈」は「仮」と同音(jiǎ)で、「甄」は「真」と同音(zhēn)です。したがって、現実は「仮」(うそ)の世界、夢幻が「真」(本当)の世界ということになり、現実と夢幻、「真」と「仮」を故意に倒錯させた設定になっています。
『紅楼夢』は、中国の古典小説で最も優れた作品と言っても過言ではありません。
『紅楼夢』が出版されると、世に「紅迷」と呼ばれる熱狂的なファンが現れ、また胡適・兪平伯・周汝昌ら著名な学者たちが『紅楼夢』研究に携わり、「紅学」という言葉も生まれました。
『三国志演義』や『水滸伝』などは、要約して説明することで、ある程度その内容や面白さを伝えることができますが、『紅楼夢』はそれができません。時間に余裕のある時に、じっくり読んで味わって欲しい作品です。
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