中国古典インターネット講義【第20回】通俗小説②~『西遊記』と『金瓶梅』
前回は、「四大奇書」の中の『三国志演義』と『水滸伝』についてお話ししました。
今回は、『西遊記』と『金瓶梅』についてお話しします。
『西遊記』
『西遊記』は、三蔵法師玄奘の「西天取経」にお供する孫悟空が次々と妖怪を打ち倒す奇想天外、荒唐無稽、波瀾万丈の冒険活劇です。
『西遊記』の成立
『大唐西域記』
『西遊記』の物語はフィクションですが、その背景には玄奘の「西天取経」の史実があります。
唐の太宗の時代、高僧玄奘(600~664)は、十数年の歳月をかけて長安から天竺(インドの旧名)まで経典を取りに往復しています。
『大唐西域記』(全12巻)は、玄奘の見聞を記した資料です。玄奘が口述し、それを弟子の弁機が筆録したものです。
また、弟子の彗立が、玄奘の伝記、『大慈恩寺三蔵法師伝』(全10巻)を著しています。
『大唐三蔵取経詩話』
玄奘三蔵の歴史的壮挙は、しだいに民間に広まり伝説化し、虚構が加わって、宋代には都市の盛り場で講釈師によって虚実取り混ぜて語られるようになります。
南宋の話本『大唐三蔵取経詩話』では、「西天取経」の歴史故事は、すでに空想的な魔物退治の冒険物語に塗り替えられています。
玄奘三蔵の旅にお供する猴行者が登場し、これがのちに、孫行者、そして孫悟空へと発展していきます。
『西遊記平話』
元代には、『西遊記平話』が刊行されていますが、すでに散佚して、明の類書『永楽大典』、朝鮮の中国語教科書『朴通事諺解』に断片的に資料が残されています。
『西遊記雑劇』
宋代から明代にかけて、しばしば演劇の題材にもなっていて、戯曲として現存するものでは、明・楊景賢『西遊記雑劇』があります。
『西遊記』
玄奘の「西天取経」に関する史実と物語に潤色を加えて集大成させたものが、長編白話小説『西遊記』です。
作者については、魯迅が『中国小説史略』の中で明の呉承恩として、これが通説となっていますが、現在は、確証がないとしてこれを否定する説が有力です。
『西遊記』は、基本的には、僧侶が経典を取りに旅に出る話ですから、仏教を大枠としていますが、物語の中身はむしろ道教を背景としています。
そもそも、明代は、民間信仰においては、仏教と道教は渾然一体となっていました。
『西遊記』のあらすじ
『西遊記』の登場人物
孫悟空
孫悟空は、乱暴だが率直で勇敢、楽天的で、諧謔的というように、『三国志演義』の張飛や『水滸伝』の李逵・魯智深に通ずるタイプで、庶民の最も愛するタイプの英雄像です。
孫悟空の原型については、インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する猿将ハヌマーンとする説、中国の民間伝承に登場する水神無支祁とする説など、諸説があります。
『大唐三蔵取経詩話』では、まだ温順な従者でしたが、元代以降、飛躍的にキャラクターが変化し、さまざまな術を使って奔放な活躍を始めます。
釈迦の弟子須菩提から七十二変化の術、觔斗雲の法を授かり、東海龍王から如意金箍棒を奪い、自ら「斉天大聖」と名乗ります。
孫悟空の形象は、猿としての動物的属性、民間伝承で形成されたイメージ、人間的性格、神魔的性格が融合して形作られています。
猿の動物的属性
毛むくじゃらの顔、がに股の脚、挙動がすばしっこくて、絶えず動き回り、一時としてじっとしていられないことなどは、猿としての動物的属性が反映されたものです。
民間伝承の猿
中国の古い民間伝承には、美女をさらう「好色のサル」、絶対者によって岩に封じられる「閉じ込められるサル」、修行をしたり仏典を管理したりする「求法のサル」など、さまざまなサルの話があります。
人間的性格
負けず嫌い、お世辞を言われるのが好き、悪ふざけが好き、ほらを吹くなどは、人間的な性格を表すものです。
神魔的特性
神通力を身につけ、変化の術を使い、とんぼ返りで十万八千里を飛ぶなどは、神魔的特性を表すものです。
猪八戒
こうした形象の分析は、猪八戒についても言えます。
鼻や耳などの形状、間抜けで不器用、大食漢でよく眠るところなどは、ブタの属性とイメージにほかなりません。
好色で、怠惰で、自分勝手で、誘惑に弱く、ずる賢いところは、欠点だらけの人間的性格であり、また、猪八戒も術を使うので、神魔的特性も備えています。
ちなみに、「猪」は、中国語ではイノシシではなくブタを意味します。
猪八戒は、もともとは「朱」を姓としていましたが、明の皇帝が朱姓であるので、これを避けて同音 (zhū) の「猪」に変わっています。
玄奘三蔵
「三蔵」は、仏教の三種類の経典(経蔵・律蔵・論蔵)の総称です。
「三蔵法師」とは、「三蔵」に精通した僧侶のことで、固有名詞ではないのですが、唐の玄奘が最も有名なので、「三蔵法師」と言えば、一般的には、玄奘のことを指します。
史実の上の玄奘三蔵は、歴史的壮挙を成し遂げた偉大な高僧ですが、『西遊記』では、頼りない役立たずの人物に描かれています。
戒律を厳格に守りますが、それゆえに頑固で融通が利かず、また臆病で偽善的な面すらあります。
みだりに慈悲を施して妖怪をかばってしまったり、殺生を戒める教条を頑なに守って孫悟空を困らせたりしています。
『西遊記』は玄奘の「西天取経」の話ですから、本来は玄奘が主役のはずですが、物語の中では、読者の興味の中心は孫悟空の破天荒な活躍にあって、玄奘はその引き立て役のように描かれています。
中国の小説では、このように本来主役であるはずの人物が真の主役でないことがよくあります。
『三国志演義』では、劉備よりも主役はむしろ諸葛孔明です。劉備は、仁義にこだわって優柔不断であり、溜息をついてばかりで、すぐに泣く、逃げ足が速い、と見ていてじれったいところがあります。
『水滸伝』でも、首領の宋江はパッとしません。小柄で色黒、武芸に長けているわけでもなく、痛快な豪傑というイメージではなく、むしろ体制志向のまじめ人間です。
『西遊記』でも、最も活躍するのは孫悟空であり、玄奘は孫悟空の足を引っ張る役割を担っています。
このように、劉備・宋江・玄奘らは、名目上の主役であり、グループのまとめ役的な存在です。物語の中心に位置していても影は薄いという存在です。
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