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風雅な格言集『幽夢影』①~「花は以て蝶無かるべからず・・・」
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花は以て蝶無かるべからず、
山は以て泉無かるべからず、
石は以て苔無かるべからず、
水は以て藻無かるべからず、
喬木は以て藤蘿無かるべからず、
人は以て癖無かるべからず。
(清・張潮『幽夢影』より)
――花には蝶がなくてはならず、
山には泉がなくてはならず、
石には苔がなくてはならず、
水には藻がなくてはならず、
高い樹にはツルやツタがなくてはならず、
人には癖がなくてはならない。
「癖」について
花には蝶、山には泉、石には苔・・・。
自然の風物には、それぞれ付きものがあります。
そうした付きものがあってこそ、風趣あるものになります。
人間の場合、「癖」があってこそ、人として魅力が出てきます。
「癖」は、「クセ」ではなく「ヘキ」と読みます。
一つのことに心を奪われ、のめりこみ、耽溺することをいいます。
明末清初、疵や欠点があったり、性癖が極端に偏っていたり、
可笑しなほど個性的な人間がもてはやされる風潮がありました。
明末の袁宏道は、こう語っています。
「世上語言無味面目可憎之人、皆無癖之人耳。」
(世の中の言うことはつまらなく、面はにくたらしい人間は、
みな癖のない人間だ。)
同じ明末の張岱も、似たようなことを言っています。
「人無癖、不可與交、以其無深情也。
人無庇、不可與交、以其無眞気也。」
(癖のない人間とは付き合えない。彼らには深情がないからだ。
疵のない人間とは付き合えない。彼らには真気がないからだ。)
爛熟した文化の中、洗練された江南の有閑文人の目には、
「真面目な常識人は野暮ったい。奇人、変人、オタクがよろしい」
ということであったようです。
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花不可以無蝶
山不可以無泉
石不可以無苔
水不可以無藻
喬木不可以無藤蘿
人不可以無癖
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