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【心に響く漢詩】「古詩十九首」~捨てられても何も申しません、どうか御身大切に

「古詩十九首」は、梁・昭明太子撰『文選』の巻29に収められた作者不明の一連の五言詩のことです。全部で19首あるので、このように呼び習わしています。

作詩年代は、後漢の中期から末期、作者は、一人ではなく複数の士人(無名の知識人)と考えられています。

別離の悲哀、望郷の思念、人生の無常、男女の情愛などをテーマとした作品群です。
 
 ↓↓↓ 漢代の「古詩」について詳しくは、こちらの記事をご参照ください。

ここでは、19首のうちの第1首を読みます。

この詩は、「遊子」(異郷にいる男性、ここでは夫)と「思婦」(夫の帰りを待つ妻)をテーマとする詩です。 

遠く離れている夫の帰りを待ちわびる妻の胸の内を歌っています。

行行重行行 行(ゆ)き行(ゆ)きて重(かさ)ねて行(ゆ)き行(ゆ)く
與君生別離 君(きみ)と生(い)きながら別離(べつり)す

――あなたは、どこまでも、どこまでも、どんどん遠くへ行き、
とうとうあなたと生き別れになってしまいました。

相去萬餘里 相(あい)去(さ)ること万余里(ばんより)
各在天一涯 各々(おのおの)天(てん)の一涯(いちがい)に在(あ)り

――お互い遥か遠く離れること一万余里、
まるでそれぞれ天の一方の果てにいるかのよう。

道路阻且長 道路(どうろ)は阻(けわ)しく且(か)つ長(なが)く
會面安可知 会面(かいめん) 安(いず)くんぞ知(し)るべけん

――二人の間に横たわる路は、険しく、遠く、
再び会うことができるかどうかもわかりません。

胡馬依北風 胡馬(こば)は北風(ほくふう)に依(よ)り
越鳥巣南枝 越鳥(えつちょう)は南枝(なんし)に巣(す)くう

――胡の地に産まれた馬は、北風に身を寄せて駆け、
越からやってきた鳥は、南の枝に巣をかけるといいます。

「胡馬」は、胡(えびす、北方の異民族)の地に産する馬。
「越鳥」は、百越(ひゃくえつ、南方の異民族)の地に棲息する鳥。

この二句は、当時の諺です。鳥や獣でさえも故郷が忘れがたいことを表しています。

相去日已遠 相(あい)去(さ)ること日(ひ)に已(すで)に遠(とお)く
衣帶日已緩 衣帯(いたい)は日(ひ)に已(すで)に緩(ゆる)し

――あなたはわたしから日に日に遠くなっていき、
やつれたわたしは帯も日に日にゆるくなっています。

浮雲蔽白日 浮雲(ふうん) 白日(はくじつ)を蔽(おお)い
游子不顧返 游子(ゆうし) 顧返(こはん)せず

――浮雲が太陽をおおい隠してしまっているのでしょうか。
旅空のあなたは、なかなか帰っていらっしゃらない。

上句「浮雲、白日を蔽う」は、二人の間になんらかの障碍があって会えないことを喩えます。

ここでは、夫に別の女性ができて、自分の元に帰ってこないことを懸念する気持ちを表しています。

思君令人老 君(きみ)を思(おも)えば人(ひと)をして老(お)いしめ
歳月忽已晩 歳月(さいげつ) 忽(こつ)として已(すで)に晩(く)れぬ

――あなたのことを思うあまり、わたしは老け込んでしまい、
歳月はたちまちのうちに過ぎ去ってしまいました。

棄捐勿復道 棄捐(きえん)せらるるも復(ま)た道(い)う勿(な)からん
努力加餐飯 努力(どりょく)して餐飯(さんはん)を加(くわ)えよ

――あなたに捨てられても、もう何も申しません。
どうか努めてたくさん召し上がり、御身大切になさってください。

「棄捐」は、捨て置くという意味です。

漢・班倢妤(はんしょうよ)の「怨歌行」に、次のような詩句があります。

 棄捐篋笥中  篋笥(きょうし)の中に棄捐(きえん)せられ
 恩情中道絶  恩情 中道(ちゅうどう)に絶(た)ゆ 

漢の成帝の側室であった班倢妤がのちに趙飛燕に寵を奪われた悲哀を歌ったもので、自らを秋になって箱の中に捨て置かれる扇子に喩えています。

下句「餐飯を加えよ」は、懇ろに相手の健康を気遣う慣用句です。

どうかしっかりお食事をされてご自愛ください、という夫に対するいたわりの言葉で締めくくられています。

遥か遠く、距離的に、あるいはまた心情的にも、自分から遠く離れてしまった夫に対する切々たる思いを素朴ながらも巧みな表現で歌い上げています。

この詩では、夫が遠方へ出た理由が明示されていません。

この時代、男子が故郷を遠く離れるのは、仕官や従軍のためであるのが一般的です。

冒頭の一句「行き行きて重ねて行き行く」からは、将兵として行軍を続けているように読めます。

しかし、後半の意味内容からすれば、役人として単身で赴任していると解釈するのが自然でしょう。従軍中に他の女性と関係するのは、通常は考えにくいことです。


『文選』李善注

ちなみに、この詩が、妻の夫に対する情を歌ったものであることは誰が読んでも明白ですが、『文選』の注釈書(唐代の李善注)では、「忠臣が君主に対する思いを述べた詩である」としています。

つまり、「浮雲」を邪悪な役人の比喩とし、それが君主と忠臣の間に入って邪魔をしていることを憎んだ詩である、という解釈です。

明らかな牽強附会で、解釈の妥当性としては論外ですが、こうした政治的、教条的な読み方は、『詩経』以来、中国の文学作品に対する伝統的、典型的な解釈の仕方です。

肖麗書「古詩十九首」

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