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【香港雑記】九龍城砦、啓徳空港、JUMBO、ネオンサイン~香港から消えたカオスの象徴
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香港は、唯一無二の都市だ。
香港中文大学に留学していた70年代の末、
香港は、社会全体が、活気に溢れていた。
緑のキャンパスで、学生たちは、自由闊達に政治を論じ、
香港の将来を真剣に語っていた。
街に出れば、大都会の喧噪が待っている。
蒸し風呂のような空気に、香港の街独特の体臭が漂っていた。
混沌とした雑踏には、資本主義のすべてが詰め込まれ、
街全体に、人間の欲望が渦巻いていた。
とにかく生活のテンポが速かった。
料理は、注文したとたんに出てくる。
銀行の窓口は、あっという間に処理が済む。
モールのエスカレーターまで異様に速かった。
この半世紀の間、
香港のカオスを象徴するアイコンが、一つ、また一つと姿を消していった。
今回は、香港から消えたもの、消えつつあるものを集めた。
1 九龍城砦
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九龍城砦は、旧時の城砦の跡地に建てられた雑居ビル群である。
1898年、イギリスが清朝から新界と島嶼部を99年間租借する。九龍城砦は、新界にあったが、例外的に租借地から除外され、清の飛び地となる。
のち、イギリスが、清の軍隊や官吏を排除し、事実上、どこの国の法も適用されない無法地帯となる。香港政庁の管理が及ばないこの場所に、中国大陸から内戦や飢餓を逃れて、おびただしい数の難民が流れ込み、バラックを建て、やがて巨大なスラムと化す。
60年代以降、RC構造のビル群に建て替わるが、無計画な違法増築によって、迷路のように複雑な建造物となり、「東洋の魔窟」と呼ばれるようになる。
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住人たちは、劣悪な環境の中、きわめて低い賃金で、食品の加工や衣類製造の下請けなどに携わった。
地上階は、飲食店や、青果、精肉などの店が並ぶ。当時、すでに販売禁止となっていたイヌの肉も売られていた。
無免許の医者や歯医者も多い。歯科は、中国語では「牙科」。下の写真でも「牙科」の看板が目立つ。
また、九龍城砦は、麻薬売買など、犯罪の巣窟となっていた。
悪名高い中国マフィア「三合会」も、ここをアジトとしていた。
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九龍城砦は、地元の人々にとっても、近寄りがたい存在だった。
「よそ者が中に入ったら、出てこられない」と言われていた。
その理由は、一つは、迷路であるから。もう一つは、命の保証がないからだという。
かつて、バスを乗り間違えて、終点で降りたら、目の前が九龍城砦だった。夜の闇の中に、廃墟のような異様な建物が、群がるように聳え立っている。
背筋の凍る思いがしたのを今でも覚えている。
しかし、思い返すと、当時、わたしは何も知らなかったから、
余計な想像をして、必要以上に怖がっていたのかもしれない。
人から聞いた噂だけで、物騒で真っ暗なイメージを持っていた。
そもそも、九龍城砦は、戦乱や飢餓で逃げ場を失った人たちが、
肩を寄せ合いながら、懸命にぎりぎりの生活を送っていたシェルターだ。
城砦内には、幼稚園や小学校があり、老人会や自警団まであった。
マフィアと一般住民との住み分けもできていたらしい。
貧困の中で、互いに助け合う温かい人情があり、
喜びも悲しみも分かち合う人間の営みが、そこにはあった。
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90年代、香港政庁が、九龍城砦を取り壊し、住民を強制移住させた。
その後、再開発の一環として「九龍寨城公園」 が造られた。
2 啓徳空港
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現在、香港の国際空港は、香港の中心地から遠く離れたランタオ島にある。
以前の啓徳(カイタック)空港は、九龍地区の街のど真ん中にあった。
密集したビルをかすめて飛ぶ飛行機の機影と爆音は、とても迫力があった。
街を歩いていると、ひっきりなしに轟音が聞こえてくる。空を見上げると、
↓↓↓ こんな感じだった。
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自分が飛行機に乗っている時も、迫力満点だ。
空港に近づくと、飛行機は旋回しながら、高層ビルの屋上すれすれを飛ぶ。
街を歩いてる人の顔までよく見える。
留学後、縁があって、何度も香港を訪れたが、
飛行機の座席は、いつも窓側を予約した。
啓徳空港は、建築群が近接しているだけでなく、
滑走路は1本だけで、その距離がとても短い。
アジアの中心に位置する国際都市なので、発着便数は、非常に多い。
パイロットにとっては、世界で最も離着陸の難しい空港であったらしい。
https://youtu.be/3PCOcyt7BPI?feature=shared
3 JUMBO
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Jumbo Kingdom、略して JUMBOは、香港仔(アバディーン)にあった中華の水上レストランである。中国語名は、「珍寶王國」という。
1971年、実業家のスタンレー・ホーが創業した。
海に浮かぶ宮殿のような威風堂々とした外観で、日本人にも人気のある観光スポットだった。
ところが、新型コロナの影響で、観光客が激減して休業したまま、経営改善の見通しが立たず、2020年3月、半世紀の歴史に幕を下ろした。
2022年6月、アバディーン湾からカンボジアへ向かって曳航中、波にのまれ、南シナ海の西沙諸島近くで、転覆沈没した。
4 ネオンサイン
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夜の香港を思い出す時、最初に脳裏に浮かぶのは、山頂からの「百万ドルの夜景」でも、ビクトリア港のレーザービームショーでもなく、旺角の雑踏に煌々と輝くネオンサインだ。
ひと昔前の香港の繁華街は、道路に所狭しとせり出す無数のネオンサインが、夜の街の風物詩だった。
原色と原色が、雑然と無秩序にひしめき合い、華やかで、混沌とした香港の姿そのものだった。ラスベガスのネオンとは、またひと味違う、人を妖しい夢幻の世界に引き込む魅力があった。
現在は、老朽化が進み、落下の危険があることから、政府の規制が厳しくなり、ネオンサインは、ずいぶんと数が少なくなった。
ネオンサインの減った街の光景を見ると、どうしても香港自体が元気がなくなったように思えてしまう。
半世紀の間に、香港は、良くも悪くも、大きく変貌した。
いくつものアイコンが、一つ、また一つと、後を追うように姿を消した。
犯罪の巣窟がなくなって、市民が憩う緑の公園になった。
古い危険な空港がなくなって、近代化した新空港ができた。
JUMBOは、所詮、観光客相手のもので、地元の人々がわざわざ行くところではない。
香港に住む人々にとっては、消えてなくなっても、何のことはない。
あるいは、むしろ、消えてすっきりしている人もいるのかもしれない。
近年の報道で周知の通り、
香港人にとって、もっと大切なもの、決して失いたくないもの、
それが、いま消えつつある。
あれがなくなった、これがなくなった、
と、目に見えるものばかりを懐かしがるのは、
わたしが、畢竟、よそ者だからなのかもしれない。
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