【四柱推命】"絶"を生きる
私の命式には「絶」があります。
月柱の十二運星です(赤く囲った部分)
私はこれまでの人生、
とにかく、とにかく生きづらかった。
その原因は
私が繊細だからだと思っていました。
私が人より感受性が強くて
傷つきやすいからだと…。
命式でいうと辛と偏印、
上の図の命式には乗ってないけど
時柱の病、第二宿命の傷官、墓
繊細な要素が多い命式なのです。
学生時代から不登校
社会人になっても適応障害・うつを繰り返し、
結婚して子供が産まれてからは
産後クライシスに産後うつ状態。
仕事も安定せず何度も転職。
お給料も安定せず、
奨学金を返済しながら
毎月カツカツで生活する日々…。
あまりに生きづらくて
なんで生きてるんだろうと
何度も考えて絶望して
何度も何度もどん底を経験しました。
色んな人の講座やセッションも受けて
学び続けて、助けられて
なんとかここまで来ました。
さらにそこから四柱推命を学び、
自分本来の姿を知り、
本当に楽になってきました。
そしてまた最近、
とある出来事にずっと悩んでいて
そこから気付いたのです。
私、"絶"持ちなのに普通になろうとしてた。
だから苦しくて生きづらかったんだ〜!!!
単に自分が"繊細"だから、ではなく
"絶"を持ってるからこそ
だからこそ生まれる葛藤があったんだ…。。
それなら"絶"を受け入れて、
"絶"を生きた方がうまくいくのでは…?
当たり前すぎて気が付かなかった。
自分を「普通」の枠にはめようとしてました。
でも、そもそも「絶」は
普通ではいられない運命というか、
社会や常識に縛られずに
自由に生きること
そうすることによって
力を発揮できるようになっている。
私は月柱に絶があるので
特に仕事面で自由であること
ルールに縛られないことが、
とても大事な要素。
比肩も2つあり、職人気質で
人に指図されることが苦手。
絶は例えるなら"魂"の状態、
肉体はなく、空の上の世界。
時間軸も存在しない。
世間から浮いてしまう
社会に馴染めない
そんな悩みも絶に加えて、
繊細な星が多いために
余計に苦しく感じてしまう。
そして言葉にすると簡単だけど
実際に「自由に生きる」と覚悟を決めるのは
めちゃくちゃ勇気が要ります…。
日本の社会、親からの教育で
周りに合わせてきた人生。
そこから脱して、
自分の価値観がハッキリ分かってきた。
その次の段階は
その自分の価値観で生きること。
自分の信念で生きていくこと
それを体現していくこと。
人の目や世間が気になって
できるだけ"普通"になろうと頑張ってきた。
自分を抑えてきた。
自分を抑えないといじめられたり
変に注目を浴びてしまう。
それが苦痛で嫌だった。
だから自分を出せなかった。
でももう、自分を出さないと
うまく回らなくなってきたんです…。
特に子供が産まれてから
私が本来の道からズレ始めると
子供がすぐにズレを気付かせようと
何かしら問題を起こして
強制終了の流れになります…
分かりやすく、それが起こる😂
そして今回も子供のサインから
あぁ、もういい加減にせーよ!
やるならやるんだよ!
今、覚悟決めて動いて〜!
とでもいうような
出来事が発生しました。。
自分が覚悟を決めて
"絶"を受け入れていくこと
"絶"を生きることが
私の役目の一つなのだと察知しました。
そして絶の上にある"偏財"もです。
人に傷つき、絶望してきたけれど
本当はもっと人を信頼したいし、
もっと愛を伝えたい。
絶は扱いにくいけれど
波に逆らわない、受け入れて進むこと
普通にならなくていい
時間に縛られなくていい
自分のやりたいように
好きなように生きてみる。
それには勇気が要ります。
普通に怖い。
私は特に夫からの意見が怖かったけど
素直な気持ちを話したら
案外受け入れてもらえて
こんな自分を応援してくれました…
むしろ、どうやったら上手くいくか
私の話をひたすら聞いて
一緒に考えてくれています(涙)
やっぱり私の使命は
同じように生きづらさを抱えている人々を癒し、解放していくこと
そして自分の力を発揮して、より良い方向に人生を進めていくことができる人を増やしていくこと
私がその"スイッチ"を押していき、人を導いていくこと
それを四柱推命を使ってやっていく。
そんな気がしています。
絶なので、やっぱりスターシード。
普通でいられなくてもいい。
今世こそ、自分の使命、役割を果たしたい。
今の時代だからこそ
自分を発揮できるはずなんだ。
私の絶も含めて、全ての星を活かして
今世こそ達成したい。
繊細な感性を大切にしながらも
生きづらさから解放され、
枠にとらわれずに自由に生きる。
しっかりと覚悟を決めて、
その道を進む時がやってきた気がします。
今回はジョジョの奇妙な冒険の
私の大好きなキャラクター
ブチャラティの言葉で締めたいと思います。
「覚悟はいいか、俺はできてる」