言葉、つまり日本語を奔放に愉しむ日々の徒然に今回は回文について書いてみます。 駄洒落や掛詞もそうなのですが、言葉の面白さは、その意味からの解放にあります。回文は、逆さに読んでも意味を持つ言葉を探し当て、その逆さ言葉を元の言葉に繋ぎ一文を成立させるという遊び。子供の頃、「竹藪焼けた(タケヤブヤケタ)」を耳にした人は少なくないかと思われます。 いつ頃だったか、自分でもいろいろ作ってみようと思い立ち、まずは身近なところで地名から逆さのタネを探した結果、 「品川には庭がなし」(シナ
言葉に取りつかれた日々を送っているといったら言い過ぎですが。もちろん深刻な話ではなく、言葉の持つ「遊び」の要素の発見を面白がっているに過ぎません。例えば掛詞の多い日本語の面白さは、古来より和歌や俳句といった文芸として伝えられてきました。まずはそんなお話から。 花の色は 移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに この小野妹子の歌が傑作と言われる所以は、「経ると降る」「眺めと長雨」の掛詞が活かされているところにあります。上手い!そうきたか!でこの歌が好きになった人
唯一の趣味ウォーキングの際に何を聴いているか。よく受ける質問でもあるが、答えは「いろいろ」「なんでも」となる。卑怯かもしれないが、とてもひとつに絞りきれない。飽きっぽさが否めない。つまりホップ癖なのですね。 しかし、パターンはある。大抵の場合、まずはその日の朝のYouTubeニュース番組から入る。登録チャンネルから強制的にポップアップ。MC某の滑舌が耳に心地よい。YouTubeはPremiumだからスマホ画面OFFでも音声は大丈夫。出演の論客にもよるが、飛ばしながら20
ところで、関西人をして一般的にケチとはよく言われることであるが。秀吉の拝金主義からとか、堺商人や近江商人由来の伝統からとか諸説あるらしいがどうでもいい。明るくひょうきんなキャラクターに潜むその吝嗇ぶりについて、そんな傾向も〜との揣摩臆測ではなく実は明白な事実であり実態であることが分かった。ネット通販大手の調査によれば、「送料フリー」つまり配送費を原則無料、但し購入者の裁量でココロザシ設定に、としたところ関西方面は軒並みゼロ設定だったとか。平均額最低の奈良を筆頭に大阪が続きさ
日本人と関西人。どちらが人として妥当であるとか有為であるとか、ではない。狭いこの国で二様の価値観の衝突は避けられず、対立は日常的に繰り返される。大仰に言えば分断とも言えるこの如何ともしがたい事態だが、問題はそのことの認識であり、その共有であろう。共有され理解されれていればコンフリクトは起きないのかもしれない。元来、日本人は海容と和を旨とし八百万の神の御霊の加護のもと、多様な価値観を超越して慈しみあう民である。生き方や文化の違いを超克してこその大和島根の繋がりともいえる。
いささか大仰なタイトルだが、もちろん物理的な分類ではなく。それは「日本人気質と関西人気質」と換言してもいい。ひとつの対立概念として軽くデフォルメし、私も含まれるであろう一般的な日本人に特徴的な自虐的メンタリティと、関西方面出自の人物に表出しがちな大陸的合理主義について、この興味深い文化人類学的テーマについて、自分なりに分析しアプローチしてみたい。多様な生き方考え方には寛容であるべきであり、いわゆるレッテル貼りに与するつもりは毛頭ない。論調における独善と粗相についてはご愛嬌、
物ごとは須らく白か黒かではすまされない。 異国の方々には理解が及ばないかもしれないが、世のなか常に答えがひとつというわけにはいかない。時にはどちらでもないとか、どちらともとれる結論、ということがよくある。 日本人の、何ごとにも微にして妙な、しかし見え方によっては曖昧な、玉虫色の処し方や思考は、よく「日本人論」のネガティブ文脈に登場する。 こうした日本人の特徴は、論理的思考や合理的判断に当を得る欧米人には珍奇不可解に違いない。 だがしかし。日本人はどうしようもなく複雑で多
はてさて、noteやらを始めてみようと思う。 旅好きにして神社愛好家の愚息に「ブログに書き留めるとかしてみたら」と上から目線風に言ってみたら、「noteに書いてるからダイジョブ」だって。そっか、その手があったかぁとなり、それならとオヤジの意地も見せなくちゃ・・てな次第。 ご案内の通り、息子にはいろいろと嵌りものというかマイブームみたいな世界があるようだ。翻って親父の方は、となると「深く追求してみたい」方面というものが判然としない。というか、ほぼ無趣味に近い。というか、無趣味