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言葉を愉しむ。②

言葉、つまり日本語を奔放に愉しむ日々の徒然に今回は回文について書いてみます。
駄洒落や掛詞もそうなのですが、言葉の面白さは、その意味からの解放にあります。回文は、逆さに読んでも意味を持つ言葉を探し当て、その逆さ言葉を元の言葉に繋ぎ一文を成立させるという遊び。子供の頃、「竹藪焼けた(タケヤブヤケタ)」を耳にした人は少なくないかと思われます。

いつ頃だったか、自分でもいろいろ作ってみようと思い立ち、まずは身近なところで地名から逆さのタネを探した結果、
「品川には庭がなし」(シナガワニワニワガナシ)
「田端駅に消えたバター」(タバタエキニキエタバタ)
「渋谷武士」(シブヤブシ)
「土佐伊予は良い里」(トサイヨワヨイサト)
など。そう、回文は「完璧」を追求しないことが肝要なのです。笑

そして、年賀状では正月ネタを探し、
「むかつく不景気たたき、行け。福つかむ。」
(ムカツクフケイキタタキイケフクツカム)
「烏賊食べた。餅、背を焼いた鯛やおせちも食べたかい?」
(イカタベタモチセオヤイタオセチモタベタカイ)
「旦那またまた留守。卯年、どうする?たまたまなんだ。」
(ダンナマタマタルスウドシドウスルタマタマナンダ)
「夜走れ牛。吾が妻が待つ。躱し、嬉し春よ。」
(ヨルハシレウシワガツマガマツカワシウレシハルヨ)
とか。

読者の苦痛の声が聞こえてきそうなのでこれくらいにしますが、この遊びをまさに「苦痛」と思わずに愉しむことができれば、回文なんて誰にでもいくらでもできます。音を紡ぐように繋ぎ、整え、できあがった言葉。その美しい言の葉を元の音節に戻して逆に並べ替えてみる。してみると偶さか一文が成立したりします。偶然の発見。回文の愉しさはそれに尽きます。

本来あるべき姿が見方によって違ってくる。この感覚、何かに似ているような。そうそう、空に浮かぶ雲が、たとえばクジラの形に見えたり。先人は、お月様に杵持つ兎を見たんですよね。心理学で言う「パレイドリア現象」って確かこれです。私は先日泊まったホテルの浴室でこんなものを見て一瞬ドキリとしました。

title「怒ってなんかいないよん」

人が予め持つパターン認識のようなものに、見たものを(半ば強引に)当て嵌めていく行為。これって回文を作り出す作業に相通ずるところがあるような気がしていますが。こんな結論、いささか強引グマイウエイだったでしょうか。失礼しました!



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