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マアナゴではないアナゴの「沖はも」を、広島の郷土料理のアプローチでうなぎの蒲焼に近づける

 以前記事にした「沖はも」ことイラコアナゴは、主に北海道や東北地方の太平洋側で漁獲される深海魚であり、これらが漁獲される地域では缶詰などの加工品はもちろん、大衆魚として親しまれている魚だ。
 マアナゴの代用魚として扱われることも多い本種だが、脂が乗ったこってりとした身とねっとりとした独特の食感はマアナゴとはまた違う旨さがある。

 さて、この記事の投稿日の前日である2024年7月24日は土用の丑の日であった。
 この日は日本全国で大量のウナギが消費される一方で、昨今は資源保護の危急性や反社会勢力の資金源と化していることなどの問題も取り沙汰されている。
 勿論この爆発的な速度で完全養殖技術が発展しつつあるほか、様々なウナギを模した商品が開発されるなど需要を満たしつつも資源を保護するための研究も数多く進められている。

 そんな中で、自分が知る中で一番ウナギに近い味わいをしたウナギではない魚が前述した沖はもなのである。
「以前は『代用魚扱いは遺憾』と言わんばかりの口ぶりだったにも関わらず結局代用魚として使うのか」と思われるかもしれないが待って欲しい。
 しつこいようだが沖はもの味わいはアナゴとウナギの合いの子のようなのだ。天ぷらや煮付けといったアナゴと同じアプローチで調理して美味しいように、ウナギでやって美味しい調理法ならば沖はもでも美味しいのは明白だ。飽くまでもこれは沖はもの新たな可能性を見つけ出している試行の1つなのだ。あと土用の丑の日に乗っかりたいし

 まずは前回試した通りに、軽く骨切りをした後にキッチンペーパーで一晩脱水する。
 骨切りといってもそこまで几帳面にやる必要もなく、何よりある程度切れる包丁なら簡単にやれる作業なので家庭で消費する分を作る程度なら楽しい。
 この一手間で沖はもの味わいは驚くほどに化ける。

この雪のように真っ白い身がイラコアナゴの特徴の1つだ

 これに醤油と酒と味醂と砂糖を煮詰めた、いわゆる蒲焼のタレを塗り、魚焼きグリルでこんがりと焼き上げる。

まずは皮目から焼いていく
そして身の方も焼く。
やはり脂の量はこの季節でも尋常ではない

 焼いていると「海の魚だ」とはっきり分かる香りが部屋に広がる。決して悪臭ではない、普段なら気にならないどころか食欲をそそる香りなのだが「ウナギの蒲焼」の前提がイメージにあるために先入観が違和感として認識してしまう。しかし、問題は味である。
 まず結果から言うと、食べ物としては美味しい。沖はものこってりした味わいは、やはり砂糖と醤油の甘辛い味付けによく合う。しかしどこかもう少し改良できそうな印象がある

 まずそもそも尻尾の部分を使っているからというのもあるが、いくらなんでもというくらい身が薄い。脂で身が揚がってしまっていることもあってか、パリパリとした骨せんべいのような食感になっている。これはこれで美味しいのだが、蒲焼として考えると何か違う。
 そしてもう1つの問題は皮だ。この皮がゴムのように硬く、煮付けにして食べたときのようなぷるりとした食感とはかけ離れている。自分にとっては嫌いな食感ではなく焼き物として食べるならこれでも良いのだが、蒲焼となるとあの食感が恋しくなる。

 ……とまあ長々と書いたが、ぶっちゃけこの味は予想がついていた
 というのもスーパーでこの時期ウナギの横に売られているアナゴの蒲焼、これには結構な確率で沖はもが混じっている
 前述した通りに沖はもはアナゴの代用魚として扱われることが多く、蒲焼についても例外ではない。皮の色と食感の違いが分かりやすいが、売られている状態の見た目でわかりやすい部分といえばおなか部分だ。
 沖はもを含む多くの深海魚は、発光するプランクトンなどを食べた際にその光で喉やお腹の中も光ってしまい捕食者に見つかってしまうリスクがある。そのため多くの深海魚はお腹の内側が黒くなっている。今回購入した沖はものように、売られている沖はもはこの黒い膜が取り除かれているものが多いがそれでもいくつか並んでいるとどれかには大抵取り残しができている。明らかに焦げではない黒い部分があるアナゴの蒲焼は、沖はもを使っている可能性が高い。

 話がズレたが、沖はもの蒲焼を更に美味しく作りたい。そこで今回実践した方法がこれだ。

沸騰させた水、酒、醤油、味醂で煮る

 まずはやや薄味の煮付けにした後に、煮付けを焼くのだ。これは広島県で主に食べられているはぶて焼きという郷土料理を参考にした。
 沖はもの皮は煮付けにするとぷるりと柔らかくなり、焼いた時と比べて身もふっくらする。
 懸念は脂が抜け過ぎてしまう事だが、沖はもの脂の量ならある程度なら抜けても許容範囲だろう。

まず皮目にタレを塗って焼く。
一度煮た事で身の縮みは抑えられるといいが……
皮目も焼く。ビジュアルは百点満点だ
ほんの少し山椒を振る。
以前の記事でも書いたが、沖はもの風味と山椒はよく合う

 単純に味覚情報としての味の話をすると、これがもうびっくりするほどウナギの味なのだ。
 特にあの脂の風味が、想像以上にウナギに似ていて驚いた。ウナギの稚魚は深海で生まれるというが、ウナギの脂の風味は深海に由来するものなのだろうか。そう思ってしまうほどに脂の風味は似通っている。
 そして、ぷるりとした弾力に満ちつつも柔らかな皮の食感と、皮の真下の脂がとろけるのたまらない。ウナギと違い腹の部分までもが真っ黒ではあるのだが、黒い皮はウナギにも通じるものがあり見た目にもマアナゴの代用して使われるとき程の違和感はない。
 流石に一度煮た後に焼くと脂が落ちるのではないかという懸念があったが、全くの杞憂であった。
 沖はもの脂はこれだけの事をしてなおウナギに負けないほどの量がある。焼いている最中に、身が自身の脂で揚がるときの音が聞こえるほどである。哺乳類の中であれば間違いなく胃もたれするほどの脂の量だが、美味しく食べられるのは魚の強みだ。

 残念なのは、直接焼いた時と比べれば天地の差があるとはいえやはり身が薄い。700円で購入したものでも1mほどの長さがあり、これだけ見れば超特大と言えるサイズであるが一番分厚い部分でも5mmあるかどうかだ。いかんせん味の再現度が高い分、そのままかぶりついた時に食べ応えがなく少しがっかりしてしまう。
 みっちり詰まった身の食感も、ふっくらとしたウナギのそれとはかけ離れている。勿論これはこれで美味いのだが、うなぎを想像すると違和感がある。
 とはいえこの身質も悪いことばかりではない。前述したはぶて焼きはキュウセンなどが用いられるらしく、これらは身が柔らかい為に崩れやすくはぶて焼き自体がそこそこ難しい料理なのだという。
 ただ沖はもの締まった身質は口に入れれば解けるものの崩れにくく、比較的ひっくり返すことにも苦労しない。ただしそのままアルミホイルで焼くと皮がアルミホイルにくっついてしまいやすいため、皮目を下にして焼く際はサラダ油などを塗る事をお勧めする。

 総合するとこの沖はものはぶて焼き、ものすごく美味しい。煮付けと焼きの良いとこ取りといえるような味わいであり、確実にこれだけの手間をかけるだけの価値はある沖はもの旨さを最大限生かした食べ方ではないかとさえ思う。

 8月5日の方の土用の丑の日には勿論のこと、良い生の沖はもが手に入ったらぜひ味わってほしい料理だ。

身の薄さはご飯に乗せて沖はも重にすると薄れる。
ひつまぶし風にしても美味しい

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