2日と1時間半かけて「干かすべ」から「かすべ煮(エイヒレの煮付け)」を炊く
関東地方に住んでいた頃、これまで当たり前に見てきた食材がスーパーに並んでおらず驚いたことは何度かあった。その中でも自分にとって筆頭と呼べるものがかすべだ。
東北地方、または北海道や新潟県などに住んだ経験のある方は、スーパーの鮮魚コーナーに独特の形状を桃色の肉の塊が並んでいるのを見たことがあるだろう。
かすべと呼ばれるこれの正体はエイの仲間のヒレの部分である。厳密に言えば、写真のものは皮を剥いた状態のものである。おつまみとして売られているエイヒレの生バージョンとでも呼べばいいだろうか。
なお今回の記事では便宜上「かすべ」と表記するが、青森県ではかすぺ、岩手県や青森県の一部ではへびだなどと呼ばれることもある。また、韓国でもこの手のガンギエイの仲間はまとめてホンオと呼び、日本よりも一般的な食材として様々な調理法で親しまれているようだ。
また、北海道や秋田県ではかすべのなかでもメガネカスベという種類のエイことを特に真かすべと呼び、ドブカスベやソコガンギエイという種類のエイのことを水かすべとして区別する。好みもあるが字面から受ける印象通りに一般的には真かすべの方が身が締まっていて上等とされ、こちらの方が高値で取引されることが多い。一方、太平洋側ではこれらを区別せず単に「かすべ」として売られていることが多い印象がある。
かすべは見た目が独特で確かに軟骨が他にない食感を生んではいるものの、味そのものはサメ肉のように実に素直でどちらかというとあっさりとしている。
生物に多少詳しい方であればサメとエイは非常に近しい生物であることはご存知だと思うが、この関係性が味にも非常に強く現れていて面白い。
そんなかすべの食べ方といえばまず挙げられるのが煮付け、そしてそこから派生するような形の煮凝り、そして唐揚げが一般的だ。
生まれた時にはすでに鬼籍に入っていた自分の曽祖父は、生前カスベに塩を振って焼いたものを食べるのを好んでいたと聞いている。試したことはないが、それは流石に軟骨が硬くて食べられないように思える。
また、多くの地域でかすべは新鮮なものを生の状態から調理するが、秋田県では皮付きのまま干したかすべを水で戻した後に煮たかすべ煮が、正月や盆、結婚式などの祝いの席で供される定番の品とされてきた。
秋田県最南端の内陸部、湯沢市にあるかんぶつの吉田は、かすべ煮や棒たら煮、にしんの昆布巻きなどといった乾物の加工品の真空パックを販売している。また、前身となった乾物の小売商店である吉田晴雄商店の名前で現在も干かすべなどを販売している企業だ。
こちらの企業によると、湯沢市などの険しい山々に囲まれた秋田県の内陸部はかつては海との行き来が難しく、古くは乾物や塩蔵の形で海産物が輸送されてきた中でかすべ煮に代表される乾物料理文化が発展してきたのだという。
というわけで今回は干かすべを使い、かすべ煮を作ってみる。
さて、この干かすべの袋を開ける前に正直かなり身構えた。懸念材料は何より臭いである。
人によっては「サメやエイはアンモニア臭い」というイメージを持たれている方もいるかもしれない。実際にサメやエイなどの軟骨魚類は体内に尿素を溜め込んでおり、これが死後分解されてアンモニアになることで独特の臭いを放つ。そしてこのアンモニアのために腐りにくいおかげで、かつての日本では内陸部でも盛んに流通されていた。
(栃木県などではモウカザメの肉をモロと呼び、現在も盛んに食べている。もちろん現在流通しているものは新鮮なものだ)
しかし冷蔵技術や流通網が発達した現在、少なくとも現在はスーパーなどで流通している状態でアンモニア臭を放つようなものは、少なくとも自分は見たことがないということは強調しておきたい。
それどころかサメやエイの肉はむしろ他の魚の肉と比べてもクセがない味わいだと思うのだが、その辺りは後日また別の記事に譲ろう。
とはいえ今回のエイは乾燥したもの。当然ながら水揚げされてからは相当の時間が経っている。
凄まじいにおいがするのではないかと身構えながら封を開けると……特段変わった臭いは感じ取れない。
もちろん無臭というわけではなく「干した魚介類の匂いだな」という臭いはするが、鮮度が落ちたサメやエイが放つ強烈なアンモニア臭は感じ取れない。鼻を近づけると確かに普通の干した魚の匂いに加えて、より強い磯の臭いに加えて言われてみれば少しアンモニア臭らしきものはあるが、正直拍子抜けだ。
新鮮な材料をすぐに乾燥させているからなのか、あるいは乾燥の過程でアンモニアが揮発したのかは分からないが少なくとも家にあると臭いで困るという代物ではない。
袋から出すと表面に無数の棘が付いているものと棘のない滑らかなものがあることがよく分かる。
見た目の雰囲気では部位の違いというよりも、複数種のかすべを区別せず混ぜて売っているように思える。
これを2日ほど水に漬けて戻す。水が腐らないように途中何度か交換する。なお水で戻したことで臭いが出ないかとも思ったが特にそういったことはなかった。
2日後に取り出したかすべは確かに柔らかくはなっていたが、分厚いゴムのような弾力がある。
包丁を使えば切ることはできるものの、特に分厚い部位などはまだまだ固く、とてもこのままでは食べられるものではない。特に棘が鋭く気になるが、作り方を見てもこのままにしていることが多いので特に抜いたり皮を剥がしたりはせずに放置。
今度はこれをじっくりと煮て柔らかくしていく。
戻したかすべを1/3程度 (つまりは水で戻す前の大きさ)に切り、まずは熱湯で茹でこぼす。
同封されていたレシピに茹でこぼす工程は書かれていなかったが、作り方を調べると茹でこぼしの工程を挟むものが多いので茹でこぼした。
そして今度は30分程度ひたひたの湯で煮込む。
今回かすべ100gに対して入れた砂糖は40g。添付のレシピ (元々保存食だった時代の味のためかなり濃い味であることは注釈されている)と比べれば控えめの量であるが、それでもお菓子でも作っているかのような結構な量である。
元々保存食であったこともあり、干かすべのかすべ煮は煮魚というよりも佃煮のような味付けだ。この辺りの味付けといい海産物を保存食として家庭で作る文化といい、兵庫県のイカナゴの釘煮に近いものを感じる。
砂糖を加えたら30分、そしてその後に醤油を40ml加えて更に30分煮込み、ついに完成だ。
水で戻すこと2日間、下茹でに30分、砂糖を入れて30分、更に醤油を入れて30分。調理に2日と1時間半かかるまさにスローフードだ。
実際は放置しているような時間がほとんどとはいえ、確かにお祝いの時に食べるようなものだろう。
しっかりと煮込んだことでゴムのようだったかすべはすっかりほろほろだ。走っている軟骨と水平に箸で摘んでしまうと、そこから身が崩れてしまう。
流石にこれ以上煮るとぐずぐずに崩れてしまいそうだ。そこで一番確認したいあの部位を味見してみる。
そう、水で戻す前から強烈な存在感を放っていたあの棘である。これだけ煮込んでなお、棘はまだまだ健在だった。
意を決して放り込んでみると……流石に1時間半煮込んだことで、棘は驚くほどに脆くなっていた。流石にとろけるとまではいかないものの、バターをたっぷり練り込んだサブレのように脆く力を入れると容易く崩れる。この見た目なのに全く刺さる気配がない。全く気にならないのとはまた違うが、これはむしろ食感の良いアクセントになっている。
そしてその下の皮はゼリーのようにぷるりとしていて、肉の方は長く平行な肉が口の中でちゅるんした、かすべならではの舌触りと共にほどけるように崩れる。それでいて生のかすべの煮付けの淡雪のような繊細な舌触りとは異なり、干かすべのかすべ煮はイカをより柔らかく繊細にしたようなむっちりとした適度な噛みごたえがある。
しかし最も特筆すべきなのは軟骨部分だろう。しっかりと煮込まれた軟骨は舌で潰せそうなほどに柔らかくも、ぷりゅんとした弾力はしっかりと保っている。肉も美味いが、特に軟骨の割合が多いヒレの先端の部分がべらぼうに美味い。どこかフカヒレを思わせる要素もあり、サメとエイが近い生物であることを改めて思い出させてくれる。
なるほど、これは自分がよく知る生のかすべをつかった煮付けとはまた違った美味さがある。皮を剥いた生のカスベの煮付けは、筋繊維の1つ1つは繊細で儚くもその長さで独特の解けるような舌触りをした肉とサクサクとした軟骨の食感を楽しむものだと思っているのだが、干かすべのかすべ煮はとろける皮とむっちりとした肉、そしてぷりゅんと弾ける軟骨の三重奏が楽しめる。似たような味付けと調理法でもここまで変わるのかと思うと共に、いずれもまた食材としてのかすべの旨さを別のアプローチで引き出した食べ方だと思う。
しかし正直なところ、今回の味付けについては三温糖を使ったこともあってかこの割合でもなお甘すぎるように感じた。
もちろん本来のかすべ煮に保存食としての側面もあることを考えると、しっかりとした甘さこそが "らしさ "なのだろう。しかし冷蔵庫のある現代に自分で食べることを考えると年末年始あたりに次に作るときは砂糖を上白糖にするなり量を控えるなりするだろう。
こうやって好みに応じて醤油や砂糖の量や種類を調整したり、あるいは薬味として山椒の実や生姜などを加えたりしていった各家庭ごとの味というものが存在するという側面も含めてこその "食文化 "なのだと考えると、実際に作ってみることの意義を尚更強く実感できる。
さて、今回は秋田の日本酒と合わせつもりだったが、正直この味付けは日本酒には甘すぎる気がする。ということで急遽家にあったこの焼酎と合わせることにした。
青森県東北町で作られたヤーコンを原料に、長野県にある芙蓉酒造組合が製造しているヤーコン焼酎けやぐだ。
ヤーコンの名前は知っていても実物や味は知らないと言う方も多いだろうが、ヤーコンは土の中で育つ芋のような野菜だ。生のままでも食べることができ、サクサクとした小気味のいい食感とよく梨に例えられるサッパリとした甘さがほんのりとある。
ちょうど10月の終わりから11月にかけての今くらいの時期が収穫期であり、産直などにいくと見かけることもある。先日の館鼻岸壁朝市でもその姿を見かけた。
また、副原料としてアピオスというこれまた多くの人は聞きなれないであろう芋が使われている。こちらはウズラの卵ほどの大きさをした芋であり、ナッツのような風味とねっとりとした甘味が特徴だ。
明治時代にアメリカから導入されたリンゴの木の苗に混じっていたものらしく、けやぐに使われているアピオスが青森県産かは定かではないが、青森県内では産直などでちらほらと見かける野菜でもある。
焼酎を口にするとヤーコン由来と思わしき華やかで軽やかな甘さが最初に触れる舌触りは実に軽やか。それ後には芋らしいずっしりとした土の香りが喉を抜け、最後には後は爽やかに喉を抜ける。
これが塩気や甘味の強いつまみと合わされば、口の中をリセットして更に箸を進めさせてくれる相棒となる。
天高く馬肥ゆる秋。日中も上着が手放せない日が増えると共に、新酒の季節も近づいてきている。
美酒に合わせる佳肴も様々。「名前は知っているけれど」程度の存外に近いところに、思わぬ肴が隠れているのかもしれない。