私とスイミング。
私、これ習いたい!
自分から習いたいと言って習ったのはスイミングだけ。
私は幼稚園の頃から小学5年生までスイミングに通っていた。
小学校2年生で平泳ぎをした時に、自分でも上手いと思ったが先生からも褒められ、小学校5年生の時に市の大会で平泳ぎで3位に入った。
選手コースに入るぐらいの才能もなかったが、当時選手の子がたまたま少なくて入賞出来た。
そんな私だが、週2回のスイミングが嫌で最後の方はしんどいと言って週1回は休んでいた。当時1級、とにかく練習がハードで、まず軽く200m泳いでから、合計1000m以上は泳ぐ。
そんな私が、特1級を取ったら辞めようと決意し、進級試験に臨んだ。
試験は着々と進み、最後は私が臨む200m個人メドレーのみになった。
たった一人で6コースのうちの1コースを泳ぐ。痩せっぽっちで体力のなかった私。通称「こんめ」、個人メドレーは本当にきつかった。
先生やみんな、母が見守る中でスタート。一人だけで泳ぐ。みんなが見守る中を。
はじめはバタフライ。あまり好きじゃないけど、泳げるとすごい!という目で見られるバタフライ。何とか50mをクリアし、背泳ぎに入る。背泳ぎは顔に水がかかるのが嫌だけど、つかの間息が楽。ターンも無事出来、50mクリア、次は得意な平泳ぎ。平泳ぎだけは生き返る。自分らしく堂々と泳げる。50mを楽しくクリア。
最後は自由形。もうヘトヘト。最後のターンもおぼつかない。残り25m。もう泳ぎきれるかわからない程フラフラだった。
その時。
ベテランの先生が声が聞こえた。ずっと自分の呼吸と水の音しかしなかったプールに、突然、すごくすごく大きな低い声が、室内プール中に響き渡る。
何て言っているのかも聞こえないぐらい響く声で、その先生の声に呼応するように、他の先生の声も重なり合う。だんだんと声が大きくなる。
その声は「がんばれ」と言っていた。
無我夢中で頑張ろうと最後の力を振り絞って泳ぎ切った。
その声は今も忘れられない私の宝物になった。あの先生のエールがなければ、泳ぎ切ることは出来なかった。
この思い出は母にとっても一番印象的だったようで、私の結婚式に、思い出話として事前録音したものを放送した。
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