積みくずし日記|2024年10月23日(水)
水曜日、またもや悪天候である。
すっきりしない空模様で、なんとか地元にいる間に公園ピクニックを実現さしせようと思ったのに難しそう。
朝起きてすぐ、おばあちゃんへ週末の旅行のお土産を持って行くことにした。
お土産は奈良の「柿の専門」さんで購入したいくつかのお菓子。
選んだのは3種類。
・郷愁の柿:小ぶりだけどしっとりした干し柿と中の栗餡が美味しい
・蜜珠柿:シンプルな干し柿。自然な甘さで何個でも食べたくなる
・柿もなか:ゆず薫る柿餡がずっしり詰まった最中。1つの最中で半分の柿を使用しているそう
特におばあちゃんが気に入ったのは「郷愁の柿」とのこと。
栗餡との組み合わせに目を丸くしながら食べていて、なんだか愛おしくなってしまった。
私にとって柿はおばあちゃんを象徴するもので、秋になってあちこちで柿を見かけるようになると必然的に思い出したり、会いたくなったりする。
おばあちゃんの家には大きな柿の木が植えられていて、これを私は「魔法の木」と勝手に呼んでいる。
理由はシンプルで、見た目は大きな甘柿なのに、完璧な渋柿だから!
一般的に渋柿は縦長で先が尖った形をしていて、甘柿は平たくて四角い。
だから渋柿を干し柿にするとしぼんでホオズキのような形になるのだけど、おばあちゃんの柿の木は違う。
つやつやっとして大ぶりな、平たくて四角い渋柿がなるのだ。
毎年毎年、渋柿だと知らない柿泥棒が被害にあうのか齧りかけの柿が捨てられていたりする。
その度に怒りよりも、齧った瞬間びっくりしただろうなあ!と思わず想像してくすくす笑ってしまう。
おばあちゃん曰く、カラスも騙されるらしい。
大ぶりな柿だから当然、出来上がる干し柿も1つが大きく、ずっしりと重く黒糖みたいな甘さになる。
認知症と診断される前はこの干し柿仕事が、おばあちゃんの秋の恒例行事だった。
かなり大きくなるまで私は干し柿を「なんだか古くさい」という理由で好きになれずにいた。
でも上京する前年、なぜだか急に干し柿を作ってみたくなって、作り方をおばあちゃんに教えてもらっていた。
半年後私は上京することになり、干し柿作りを習って1年後、おばあちゃんは認知症と診断を受けた。
だからあのとき、習いたいと思ったのは何か予感のような、誰かが「きいておきなさい」と私の肩を叩いたのだ、と今でも強く思っている。
また今年も、干し柿の季節がやってくる。
今年も、美味しく作れるかな。
おばあちゃんちから帰宅して、母と動物園に行こうと話していたけど、ゲリラ豪雨に見舞われて断念。
すこし大きめのショッピングモールの蔦屋書店で、母は一穂ミチさんの「スモールワールズ」を、私は津村記久子さんの「ポトスライムの舟」を読み進めた。
途中まで「なんだか読んだことがある気がする..?」と思いながら読んでいて、表題作を読み終わった時点で確信に変わった。絶対に読んでいる。
大学生の時につけていた読書記録を振り返るとやはり読んでいて、大学3年生ごろのことだった。
でも当時は社会人になる前で、給与残高をみて何をしようか考える、とか、誰かを敵にすることでうまく回っていく職場もある、とか、私はわかっていなかった。
改めて読み直してみたら、一緒に収録されている「十二月の窓辺」が私はすごく好きだった。
今すぐ飛び出してしまいたくなるくらいの環境で、何をしてももう評価の取り返しなんかつかない。むしろどんどん、嘲笑の的になっていく。
誰も救ってはくれない。
主人公がパワハラを受けるのは上司が彼女を「見込んでいるから」と慰めを受けるシーンで、あまりにも既視感がありすぎて、一旦読むのをやめてしまったほど。
会社には、弱い立場の人を攻撃することで、自分の居場所を守る人がいるのだ。
どこの会社にも、とは言わないけど、自分がどれだけ努力しても、理不尽な怒りというのはある。きっと。
それはどうしようもないのかもしれない、相性もあるだろうし。今はもう、そう自分を納得させている。
この物語が好きなのは、主人公が自分と同じくらい苦しんでいると思っていた人には救いがあったと知ったこと、そして自分よりは恵まれているだろうと思っていた人が、自分より深い深い苦しみを抱えていたと知ること。
“仕事”や“責任感”という境界の中で、比較的簡単に人間は人を残酷なまでに追い詰めることができてしまう。
職場へ向かう途中の電車のなかで涙が止まらなくなってしまって、駅のホームで呆然としながら座っていた去年の11月から、1年が経とうとしている。
わたしは主人公・ツガワと違って、最後は比較的まるいかたちで退職ができたけど、営業周りをして笑いながら急に涙がせり上がってきて声が出なくなってしまった日のことや、チャットでの叱責に耐えられなくなってお手洗いに駆け込んで、泣き顔をマスクで隠したことはいまだに昨日のように思い出せてしまう。
「それはもう限界だよ」といろんな人が言ってくれたけど、いまも心のどこかで、自分は仕事ができないし次もうまくいかないかも、と不安に思ってしまう。
でも主人公・ツガワの経験が津村さん自身の経験だと知って、そのリアリティに納得した。
それと同時に、津村さん自身が新卒の会社を退職してその後、資格を取って再就職されて副業で小説を書き始めたという事実に、なんだか勝手に背中を押された気がしている。
今まだ、私は明るい未来を20%くらいしか想像できていないけど、たぶん生きてればなんとかなるんだろう。
夜寝ようとして、不安で泣いてしまう日もあるけど、なんとか歯を食いしばって生きていこう。
そう思えた一日だった。
また明日。