缶コーヒーは、土に還るものだと思っているのかも知れない
【独り言メモなので、どうかスルーして下さい】最近、左膝の調子が良く、ここ毎週、24時間断食のフィニッシュの時間帯に10km走っている。今日も気持ち良く走れて、毎週お参りに来ている地元の氏神様の3か所目を終えた時に、街路樹の根本に缶コーヒーが捨ててあった。10km走る中でも、目につくゴミは拾いながら、コース内にあるごみ捨て場に置かせてもらっているが、ここ最近の道端や川縁にポイ捨てされているゴミがやたらと多いことが凄く気になっている。この写真にあるように、この缶コーヒーを投げ捨てていった者のその時の様子が映像に出てきた。彼は、早朝、眠気と疲れを取るためにカフェインの濃いブラックコーヒーを自動販売機で購入した。この時点で、飲み終わった缶を持ち帰ることは全く頭にない。道端に捨てることを前提に買っている。疲れきった体に鞭打って出勤する自分を褒めつつ、会社や上司に恨み節を云いながらコーヒーを啜り、3口くらいで飲み干すと、いつものように悪気もなく街路樹の根本に捨てて(彼は置いていったと言うだろう)いった。まあ、彼の中では、缶コーヒーは、土に還るものだと思っているのかも知れない。土の肥やしになるのだから、むしろ自分はいいことをしているという顔が目に浮かぶ。私は、このような場面を現行犯で見つけた時は、相手がたとえ危なそうな輩でも、「落とし物ですよ」と言って声を掛けるようにしている。数年前には、二人組の男に絡まれそうになったが、何てことはない。こちらは、ニコニコしながら、落とし物が手元に戻って良かったですね、という顔で渡すのだから、相手も思わず感謝の顔になってしまう。ここまでになるには、少し経験が必要だ(笑)自宅に持ち帰った缶コーヒーと、お菓子のつつみ袋数枚を分別された場所に収めた。この缶コーヒーの空き缶は、あと4日後の資源ごみ回収の日まで、家に居ることになる。これを見る度に、彼のことが頭に思い浮かぶのだろうか。世の中には、捨てる人と拾う人がいて、あとは見ても何もしない、何も感じない人がいる。どのカテゴリーも人間で平等。この世の摩訶不思議。だから人間面白い。