この世は浮世に塗れ、矛盾だらけ。
「尊敬」とは何か。それは、とうとび、うやまうこと。“尊”とは、貴重であり大切にすべきもの。“敬”とは、心して慎み疎かにせず認めること。即ち「尊敬」とは、対象を重要と考え、深い賞賛の感情を持ち、その人格を尊いものと認めて敬う肯定的な気持ちや行為。気遣いや配慮・考慮を示すことで、良き人柄や価値あるものへの賞賛の思いが伝わること。己は、何を尊敬するか。尊敬できるものはあるか。親はどうか?兄弟姉妹はどうか?友人は?先生は?仕事であれば上司や同僚、会社の社長はどうか?地域の人々、見えぬところで公共、福祉などの己が生きるために必要な様々なことに従事してくれている人々、為政者、国家のリーダー、世界を取りまとめる者はどうか?そして、己自身はどうか?己は何を尊敬するか?尊敬できるものはあるか?そもそも尊敬しているか?もし、「そのような気持ちにさせてくれるものは何一つない」ということがあるとすれば、それは己自身を大切に出来ていないことに他ならない。何事において尊敬の念を持てない生き様ならば、己自身が誰からも尊敬されず、その人生、好転することはない。そしてこの実相の創造主たる神はどうか?己が生きる上で必要なものを全て揃え、お膳立てをし、己の帰りを長い間待ち続けている。「そんなものはない!神や仏の話は他でやってくれ。私が信じれるのは物金実績だけ。特に金は嘘を付かない。だから金をがっつりと稼がせてもらう。」と言いながら神社仏閣に初詣に行き、誰に何を頼んでいることやらに。この世は浮世に塗れ、矛盾だらけ。人間、尊敬の念を持ち続けられるようになれば、帰る道は閉ざされることはない。
そのことを肝に銘じ、まずは自分自身の存在を尊び敬い感謝をし、人々を尊敬の念を持って関わることが出来るよう心して精進します。
有難う御座います。