時々善人は善人か?
人間、己が善人だと思っているものが殆ど。であるならば、なぜこの世は、豊かで幸福で、一切が喜びに満ちた世界であるはず。自分は善人なのに、世の中がそうはなっていないのは、誰かが善人の振りをしているから?誰かが悪いことをしているから?そう心の底で思っているのではないか。では、善人とは何か?善くも悪くもなく、時々善くもあり、悪くもあり、時々弱者に対し慈悲であり、時々無慈悲な時もある、困っている人が傍にいたら時々は助けるけれど、時々は忙しいから見て見ぬ振りをすることもある…、時々苛々している時、他人を傷つけてしまうこともある…人間だもの仕方がない…。これは善人か?善人と言えるか?己はどうか。完全に善良であり、謙虚、正直で素直で誠実で、過ちや非を改めることが出来るか。はたまた、時々中途半端、ぬるま湯的で、物事が完結しないままのことがあったり、不十分な状態をそのままにしたり、時々嘘をついたりつかなかったり、時々約束を守ったり守らなかったり、己の過ちや非を改めたり改めなかったり…。己の評価は如何に。実相はどうか。善か悪か、その中間はない。白か黒か灰色は無い世界。従って、悪を行わず、善も行わぬ者は、善人に非ず。時々善人で時々の微悪も同様。自分は概ね善人として生きたと思い、満足気にこの世での命を終えたとしてもあの世の見立ては白か黒かのみ。白であれば上に行き、黒であれば、下に行くだけ。その中間はない。これが実相。実相は厳しい。人間、この世に生を受けると、このことを大概忘れてしまう。大丈夫。思い出せばいい。思い出して善に徹して生きる決意が出来れば、生きているうちならば、改心することは出来る。
そのことを肝に銘じ、今日という一日を生きます。
有難う御座います。
幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者