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重たいお金と軽いお金

ここに1億円のお金があるとします。
同じ1億円でも自分で働き積み上げた1億円と、誰かから引き継いだ1億円では、当人が感じる肌触りや重たさが異なります。

自分で積み上げた1億円はより重たいお金でしょう。それに比べると引き継いだ1億円はやや軽いお金にならざるを得ません。

まずは「重たいお金」のお話から。
仕事を頑張ってそれなりの資産を築いた人は、懸命に働き、お金を無駄遣いしてこなかったから、お金が積み上がったわけです。

ですので、それなりの年になっても「なかなかお金を使えないな」と感じるのは、ある意味自然な現象なのかもしれません。

”お金を貯めるのが得意な人は、概ねお金を使うのが不得手。”これは職業柄(ファイナンシャルプランナー)、切に感じることのひとつです。


こういうタイプの人は、たとえば75歳で3億円の資産があっても、「病気とか長生きとか、介護のことを考えると、心配になってお金が使えないよ」という思考の流れになるものです。

より根源的にいえば、自分が積み上げたお金なので、使って減らすのが生理的に耐えられない側面もあるのでしょう。まさに「重たいお金」なのです。

そんなタイプの人が亡くなると、多額の資産は「次の世代」に引き継がれることになります。つまり、お金の物語は「第二章」に移るわけです。ここでの主人公はお金を引き継いだ人です。

あえて冷たい言い方をすると、相続の本質はタダで資産を取得することです。誰かからもらったお金は、自分で稼いだお金に比べるとどうしても「軽いお金」になりがちです。

どこか降って湧いたような感覚があり、気持ちも多少大きくなって、懸案だった費用に用いたり、少し消費にも充てたり、(そして)それらが重なると浪費に繋がることもあります。


あるいは、誰かから引き継いだお金は「戸惑い」という感情も連れてきます。

これは名義上、自分のお金ではあるが、自分が積み上げたお金ではない・・従って、いつまでも中途半端な感覚で、そのお金(資産)と自分がダイレクトに結びつかないのです。

たとえば、預金で引き継いだものは預金で、個別株式で引き継いだものは株式として、賃貸アパートとして引き継いだものはアパートとして、現状を維持するだけで思考がストップしてしまうことが多々あります。

別の角度から見れば、手元にある「お金の大きさ」が、自分が心地よいと感じるお金の量に勝るため、冷静にお金をマネジメントすることが出来ず、現状維持に至ってしまうとも云えます。

日本の年間出生数が70万人、死亡者数が160万人とすると、人の誕生よりも相続(死)のほうがイベント数として圧倒的に多いのが現実です。

これから、引き継いだお金をどのように適切に管理するのかという教育、あるいはノウハウがこの国では急務になるのではないでしょうか。


最後に「相続税」についてです。(お金に関していえば)相続税を重たくするとは、一体どういう政策なのでしょう?自分の糧は自分で稼ぐ。そして「お金は自分が生きているうちに使うもの」というお金観を普及させることにつながります。

逆に「相続税」をなくすとは、どういう政策なのか?一家の誰かが築いた資産を維持発展させ、「人の寿命を超えてお金が生き続ける道」を開くことになるでしょう。

自分が積んだか否かは重要ではなく、より広義にお金は活用すべきものだというお金観が普及することになるでしょう。それでも、重たいお金と軽いお金があるという事実は変わらないでしょうが・・。

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カン・チュンド
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