「森林の思考・砂漠の思考」を読んで。
鈴木秀生著
最近のマイブームは、「地理学」!
漁って好んで読んでいるのが、全部「地理学」関係の本だ。
その始まりは徐々に徐々にやってきたが、この本の影響も大きい。
その次に、この本「森林の思考・砂漠の思考」で驚き、ここから完全に嵌った!
それは一言でいうと、人は生まれた土地や地域に、多大な影響を受けているということだ。
それも想像を、越えるほどに!
ここでは大きく、西洋と東洋に分けて記されていた。
「このような東西二つの論理の分かれ道は、どうしておこったか。そこに、砂漠と森林がかかわっていると私は考える。砂漠では、ある一つの道が水場に至る道であるか否かどちらかに決断しなければならない。その道が生への道であると判断することは、他の道は滅への道であると判断することである。それに対して森林には、生が充ち満ちている。生への道か滅への道か思い煩う必要がない。生と滅を区別する必要がない。人間が、これだと思った道から迷うことによって、桃源郷を発見する。」
結局、東洋は「森林の思考」で、西洋は「砂漠の思考」ということだ。
そして、そこから「何」が生まれたか。
天地万物が永遠に流転を繰り返すと考えるか、天地に始めがあり終わりがあると考えるか、人間の論理ではどちらかしかないだろう。前者は仏教の世界観であり、後者はキリスト教の世界観である。仏教を生んだのが森林であり、キリスト教を生んだのが砂漠であった。ここにおいて、森林的、砂漠的という二区分が、決して浅薄な、安易な区分でなく、人間にとって本質的な区分であることを理解して頂けたと思う。(略) 本質的に、森林的か、砂漠的か、二つに一つなのである。
こうして世界の2大宗教である、仏教とキリスト教が生まれた。
そして西欧列強たちの帝国主義は、キリスト教を「教育」の基礎として全世界に拡散していった。
例えば明治初期、お雇い外国人であるクラーク博士が、札幌農学校の第1期生に帰国直前に「イエスを信じる者の誓約」を、全員署名させたということを見てもわかる。
その他、西欧列強たちの植民地であった国々やその地域を見てもわかる。
ある道をとるか否かの二者択一は、砂漠での必要条件であった。またそれは自分で判断して決めるものであるよりは、他人から教えてもらった道を迷いなく選ぶことで、その反対の道をとって、あえて生命をかけることは無かった。教会は正しいと思う道だけを教える。その反対の道のことは、正しいか正しくないかも考える必要がない。
現在の暗記中心の教育スタイルが、まさしくここから出発したといえるのではないだろうか。
この本では、第1章「日本文化の森林的性格」から始まり、「変化する森林と砂漠」「東西の差を生ぜしめたもの」「日本における『砂漠化』の進行」と、歴史的な時代の流れの中で変化してきた日本の姿を現していた。
こうして「地理」が、宗教・哲学などの土台に影響を与えているという。
もしかして「地理」によってこそ、宗教を越え、政治を越え、思想・哲学や科学までも超えることができる学問なのかもしれないと、思うようになった。
そこから遂に、この本に紹介されていた、カントが語っていた「地理学」に深く誘われていくことになる・・・。
( nuricoの「地理学」探求旅行は、つづく~♡)
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拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。
できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡