山東京伝の黄表紙「御存商売物」、江戸の出版事情
天明二年(1782年)刊行の「御存商売物」は、江戸後期文化の代表的作家、山東京伝(1761~1816年)の出世作となる。上中下三巻の黄表紙。黄表紙は、絵と文が一体となった作品。文章だけを勉強している国語の先生からはなかなか評価されない。絵物語やマンガやアニメの先駆けとなるようなジャンルだ。絵も文もわからなければ理解できない。一巻は10ページで、見開きページを作れば、一巻六場面ができる。
江戸時代の初めは、文化の中心は京都、大阪を中心とした上方だった。それが次第に文化の中心が江戸に移っていく。文学は、それまでの手書きから、木版画で文字も絵も印刷されるようになった。文字と絵が一体となった黒本、赤本と呼ばれるもの(草双紙という)が作られ、次に大人を読者とした絵本、黄表紙が作られた。黄表紙は黄緑がかった色の紙を使った本で、青本とも呼ばれた。
黄表紙の繁栄を擬人化して描いた作品、「御存商売物」を実際にみていこう。
上
一
狂言の口調で口上を述べる(狂言の舞台上の設定で)作者、山東京伝が登場する。
まかり出でたる者は、春ごとの戯れ草紙の画を巧みする某にて候。いまだお子様方のお馴染みうすく候ほどに、なにがな御意にかない候ことをご覧にいれんと存知つき候ところに、今年の初夢に怪しげなることを見候ほどに、これはかの版元なにがし方へ参り、物語ばやと思い候。急ぎ候ほどに、これは早、版元が門に着きて候。
正月(春)に作る黄表紙の挿絵を描いている浮世絵師の私が、初夢に物語を思いついたので、出版元に話しに来たと述べている。
二
仕事に追われうたたねをする作者、京伝の図。絵師らしき道具も見られる。
八文字屋の読み本(上方発祥の浮世草子)、貸本屋の風呂敷より現れ出て、行成表紙の下り絵本(上方出版の絵本)が方へ来たり、
「さてさて、貴公もわしも、上方より下り、ご当地にときめきし身の上が、近年青本(黄表紙のこと)はやり、ことに洒落本(遊里を舞台とした作品)なぞというたわいもなきもののために世をせばめられ、いかにも口惜しきことなり。どうぞして青本その他の地本(江戸の出版物)にけちをつけん」と謀る。
画面は夢の中が二場面で表現され、上段の二人の場面(前述)から左の三人の場面(後述)に変わる。
下り絵本は、あるとき、赤本・黒本を招き、(中略)
「おのおの方の不繁盛は青本が発行ゆえなれば、ケチをつけたまえ」と、手前は手をぬらさぬ工夫、上方者に油断はならず。両人(赤本・黒本)、これを見るよりむっとして、青本をそねむ。
江戸時代(1603~1868年)前半は、文化の中心は上方(京都や大阪)にあった。江戸の町は新興の何もない町なのだ。文学では大阪の井原西鶴(1642~1693年)の浮世草子が人気を博した。「浮世」とは、「現代」という意味。「現代小説」という意味の名が「浮世草子」だ(「浮世絵」は「現代画」)。そんな本が江戸でも読まれた。井原西鶴の時代の三大文学者は、浄瑠璃・歌舞伎の近松門左衛門(1653~1724年)と俳句の松尾芭蕉(1644~1694年)がいる。近松門左衛門は京都・大阪で活躍した。松尾芭蕉は江戸に庵、芭蕉庵をかまえていたが、生まれは伊賀(三重県)で、亡くなったのは大阪の地だ。文化も本も上方が中心だった。
それが、江戸時代後半には、文化の中心が江戸になり、本も浮世絵も江戸が中心になった。表紙が赤い赤本は、挿絵つきの子ども向けの絵本。「桃太郎」などがある。黒本は表紙が黒く、挿絵つきの物語。浄瑠璃や歌舞伎の物語が多い。それらが読まれていたが、時代は、大人向けの現代小説、黄表紙になっていく。黄表紙のことを「青本」といっているが、萌黄色の表紙はすぐに色あせ黄色になる。
三
青本(黄表紙のこと)は、貴賤の分かちなく人の目を喜ばせ、世辞にかしこく、粋をもっぱらとして、当世の穴をさがし、俳気も少しあって、毛筋ほども抜け目はなく、雨中のつれづれには豆煎り《まめいり》と肩を並べ、女中様方、お子様方のごひいき強く、新版の工夫に新規をこらし、しかれども、その身おごる心なく、やっぱり漉き返しの紙(粗悪な再生紙)にて、月並の会を催し、洒落本、袋ざし、一枚刷り、その他の当世本を集め、趣向の相談する。
袋ざしは、袋に入った本。一枚刷りは、一枚物の浮世絵版画。当世はやりの江戸の本たち。
各人物のセリフは黄表紙の評判記となる。青本は、芝全交「大違宝船」(画は京伝の師匠、北尾重政)のことを言い、洒落本は、朋誠堂喜三二「見徳一炊の夢」(恋川春町画)、一枚絵は、恋川春町作画「無益委記」、南陀伽紫蘭「油通汚」のことを話している。
画面左には、青本の妹、柱隠しがいる。この後、柱隠しをめぐって事件が起きるが、ここでは赤本のことをしゃべり、ダジャレる。赤本には、桃太郎や浦島太郎の話があった。もちろん金太郎もある。
柱隠し「わしが曾祖父の時分、桃太郎が島へ渡り、浦島太郎が若い時分にて、漆絵というがはやって人がうるしがったげな」
四
画面は、青本の妹、柱隠しと一枚絵。柱隠しが一枚絵にほれて、思いの丈を示すために指を切ろうと刀をふりかざしている。「指切りげんまん」は、本当に指を切って思いを示していた。一般人というより、遊女がしていた行為。この画面は浄瑠璃で使われる構図で、よく知られている場面。画面の構図も何かのパロディーとなっている。画面左は、一枚絵の草履取り、三文絵。二束三文の安い絵。
五
青本は、夜更かしをする日待をして仲間を呼ぶ。咄本と洒落本、妹の柱隠しがいる。
仲間のうち、黒本・赤本、来たらぬゆえ、どうしたわけと思う。
六
青本は、柱隠しと一枚絵のことを知り、一緒にしてやろうと洒落本に相談に出かける途中で石摺に会い、そのまま観音参りに行き、続けて吉原へ行こうとする。
当時は、どこかへ行くついでだということで吉原へ行っていた。石摺は、石の石碑などの文字を写し取ったものでできた本。そんな趣味のものにも興味を持つ人が江戸時代には多かった。生活に余裕ができてきたのだろう。
ここまでが上巻。全部で六場面となる。上巻の最後には「画工北尾政演戯作」とある。山東京伝という名前より画工(浮世絵師)としての北尾政演という名の方が知られていた。
中
七
浅草観音の境内の様子。浮絵がのぞきからくりの口上を述べ、子どもの豆絵が聞いている。横には紋付の紙がいる。境内の様子を本仕立てで描く。
浮絵は西洋画の遠近法を使った絵。豆絵は、小さな絵の1枚物。紋付の紙は、役者の「紋」を描いた本。そんな趣味の本まであった。
八
浅草観音の境内の様子。七は1ページだったが、こちらは見開き2ページに描く。人物も多い。黒本と赤本が連れ立ち、親分の唐紙表紙もいる。遊女錦絵が新造・禿と参詣する。それを青本が見とれている。
九
青本は錦絵の美しさにほれこみ、長唄本(ここでは芸者の姿、右図)・義太夫の抜き本・鸚鵡石とともに遊女屋に来る。
長唄本は、長唄の歌詞の本。義太夫の抜き本は、浄瑠璃の一部を抜き出した本。鸚鵡石は、芝居の役者のセリフを書き、オウムのように声まねするための本。
十
黒本・赤本は、いかにもして青本にケチをつけんと、塵劫記・年代記・道化百人一首なぞを語らい、柱隠しを盗み(誘拐し)、一枚絵と青本の仲をさけんとはかる。
ちなみに、「百人一首」は、「ひゃくにんしゅ」と言っていた。「いっしゅ」ではなく「しゅ」だけ。マクドナルドを「マック」とか「マクド」とかいうような簡略化。
十一
柱隠しと一枚絵のいちゃつきを、塵劫記・年代記・道化百人一首がのぞいている。
柱隠し「兄さんものみこんでいるからは、夫婦でござんす」
一枚絵「たとえこの身は煙草包丁で小口を裁たれても、色のさめる気遣いはないのさ」
十二
黒本は三人を使い、柱隠しを誘拐し、家へ連れてくると、何も知らない焼き餅焼きの女房、伊呂波短歌の焼き餅で、夫婦げんかが始まる。伊呂波短歌はいろはがるたを本にしたもの。夫婦げんかを止める道化百人一首が「それはあんまりタンカじゃ」と、「短歌」と「短気」のダジャレを言い、黒本は、「ええ、じゃますな。そこドウケ」と、「道化」と「どけ!」のダジャレで応える。
ここまでが中巻。
中巻の最後にも「画工北尾政演戯作」とある。作家としてではなく、浮世絵師が余技として戯作した形となっている。
下
十三
妹の柱隠しが行方不明となった青本は、男女一代八卦を呼び、占う(「男女一代八卦」は占い本)。青本は、「柱隠し」の名前から「神隠し」にあったのではないかと思い、また、田舎への土産に買われたのではないかと心配する。黄表紙や柱隠しは地方への江戸土産として珍重された。男女一代八卦の占いは、「湯島か(芝)明神前の床店(通いの出店)をお探しなされい」とのこと。
十四
赤本(が)、一枚絵に「青本が妹、柱は、黒本と色事で、黒本がところへ逃げていき、青本も、同じ仲間の黒本へやれば不足はないと、貴様を突き出す(分かれさせる)相談さ」と、真っ赤なウソをついてたきつける。
吉原細見は、黒本・赤本の悪だくみを知って、青本に告げる。
十五
一枚絵は、若気のはやまり、まんまと黒本、赤本の謀略にのり、(中略)「おのれ、憎きすき返し野郎め(青本のこと)、引き裂いて紙くずかごへ打ち込まん」と、ろくに訳も聞かず、青本が吉原にいるを知り、果たし合わんと気色をかえて走り行く。
画面では、髪振り乱し刀をくわえた一枚絵の姿。たぶん当時のお芝居の有名シーンを描いたのだろう。遠くに二人連れの姿がある。
折節、向こうより(中国の漢詩の古典)「唐詩選」、(日本の古典)「源氏物語」、吉原からの帰りがけ、この体を見て、訳のありそうなことと始終を聞き、いろいろ意見してとどむる。
十六
唐詩選・源氏物語は、一枚絵と青本が訳を聞きしに、黒本・赤本が仕業ということ知れ、双方へ教訓する。
同じ本仲間なのに赤本・黒本の仕業はもってのほか。繁昌不繁昌はその時々。青本(黄表紙)も調子に乗って廓通いばかりしていた。一枚絵はろくに訳も聞かず刀を持ちだした。これからはみんな仲良くしたまえ。と、ダジャレ交じりに述べる。
十七
柱隠しと一枚絵は祝言して、めでたくおさまる。
赤本・黒本の悪だくみは、製本が雑だから、もう一度製本し直す。この騒動の起こりは八文字屋の読本と行成表紙の下り絵本だとわかり、こんな古い物はいらないと解体される。画面左の黒い服は徒然草。唐詩選、源氏物語の仰せで指示を出している。右下は、庭訓往来が八文字屋読本を押さえつけている。その上が下り絵本で、用文集に墨を塗られている。押さえているのは商売往来。左下では、古状揃が包丁を持って、赤本・黒本を裁ち直そうとしている。
画面、怖いなあ。定規を当て、包丁で切った図。バラバラ殺人だ。本の裁ち直しは実際そうしていただろう。本文では、こう書いて終わっている。
黒・赤本は、根性を綴じ直されてより、もとのごとく繁昌する。
めでたしめでたし。
十八
最終ページは見開きではなく、1ページのみになる。そこで場面一転、「御存商売物」の出版元、鶴屋喜右衛門が「北尾政演」の表札の家へ年始の挨拶にやってきている。
物語のエピローグは、鶴屋喜右衛門のいる現実世界に移行する。セリフは、夢から覚めた山東京伝から始まる。
これより、草紙問屋の「商売物」仲睦まじく、行く末、万々年も繁盛に栄え、切ったり張ったりの草双紙のすたりしも、げに太平の御代のありがたさと思ううち、表を商売人が「一枚絵、草双紙、宝船、道中双六」との売り声で通るのに驚き、起きあがらんとするところへ、「鶴屋喜右衛門、御慶もうしいれます」。
正月に宝船の絵を飾ったり、双六で遊んだりするように、黄表紙も正月に発行された。そこで版元鶴屋も羽織袴で登場する。テレビの正月特番に芸能人が着物姿で登場するようなもの。夢の世界の話が、現実に引き戻され、しかも鶴屋の宣伝にもなっている。
署名(右下)は、「紅翠斎門人 政演画作」とある。紅翠斎は北尾重政のこと。山東京伝はまだ、浮世絵師、北尾政演としての名を表に出していたし、師匠、北尾重政の名前を利用してもいる。
こうして江戸の出版事情を戯画化する。
この後、黄表紙は、山東京伝の力によって、ますます発展していく歴史の序章ともなっている。
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