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濡れるほか よい智恵の出ぬ雨宿り 柄井川柳「誹風柳多留」八篇②

 雨の浮世絵がけっこうある。雨の川柳もある。江戸時代には、コンビニにカサを売っているわけではないので、急な雨では雨宿りをする。そういうことが今よりも多かったのだろう。雨宿りの軒下で会話が始まることもあっただろうし、恋が芽生えることもあっただろう。
 そんな生活の一場面を切り取って五七五にした江戸川柳。柄井川柳が一般庶民から集めた川柳をまとめた作品集「誹風柳多留」には、今も昔も変わらぬ人々の生き方が見えてくる。


368 そばきりさへもさえも てんやは汁ずくな  (前句不明)
蕎麦切りでさえも店屋は汁少な
 そばは、まるめたダンゴ状の「そばがき」から、切って麺にする「そばきり」が江戸時代から流行するようになった。店屋物(てんやもの)をとると、汁が少ない。自宅で料理すれば汁をたくさん入れるのに。そこから転じて、次々客を相手にする商売女は、自宅でしっぽりセックスするのと違って、あんまり濡れない、そばの汁が少ないように、愛液が少ないといっている。


390 毎年の事 万歳をおかしがり  馬鹿なことかな馬鹿なことかな
 毎年正月に三河万歳がやってくる。毎年同じ内容なのに、やっぱり笑ってしまう。笑うと体内のキラー細胞が活性化して、コロナウイルスもやっつけてくれるかもわからない。昔も今も、人々は笑いを欲していた。


399 てんでんに宿所しゅくしょをかたる雨舎りあまやどり  おごりこそすれおごりこそすれ
てんでんに宿所を語る雨宿り
 急な雨で雨宿り。家の軒下などで一緒になった人々が、「○○に住んでいます」と宿所(住んでいるところ)を互いに語っている。

554 ぬれるほかよい智恵の出ぬ雨舎りあまやどり  はげしかりけりはげしかりけり
濡れるほか良い智恵の出ぬ雨宿り
 激しい雨がやみそうにない。カサもカッパもないので、いつまでもそうしている訳にもいかない。仕方ない。雨の中に飛び出すしかない。濡れるほかない。そう思いながら雨宿りをしている。

456 出されたを出て来たにする里の母  大そうなこと大そうなこと
 離婚して里に帰った娘。追い出されたのを、「自分から出てきたのです」と母は人に言っている。

514 旅の留守 うちへも ごまのはいがつき  はげしかりけりはげしかりけり
 「ごまのはい」は、旅人のかっこうをして旅人から金品を奪う者。もとは高野山の層のかっこうをした押し売りのことで「護摩の灰(ごまのはい)」といった。それが発音が似ていることから、なぜか「胡麻の蠅(ごまのはえ)」ともよばれるようになった。旅人をねらうはずの「ごまのはえ」が、旅に出て亭主が留守の内(家)でねらうのはその女房。「ごまのはいがつき」で、もうくっついてしまっている。間男が成功して何度も性交しているのだろう。しかもお題が「はげしかりけり」とくる。「激しいもの何?」「うん。留守宅の女房についた胡麻の蠅」


535 川を越す女 壱寸いっすんづつまくり  はげしかりけりはげしかりけり
川を越す女 一寸ずつまくり
 江戸の町は、敵に攻め込まれないように、川にあまり橋がかかっていない。参勤交代はあったけど、そこで大名にお金を使わせるのが目的だった。一般の人が、橋のない川をどうやって渡るか。渡し船がある。船がないところでは、川越し人足に肩車してもらったり、台に載って運んでもらう。お金を払わずに、自分で渡ることも多かった。川越えのために自分で川に入る。男は、ばあっと着物をまくる。けど、女は、ぱっと着物をめくるなんて恥ずかしくてできない。歩くにつれて川の水かさが増す。それにつれて、ちょっとずつ着物の裾をまくる。そんな情景を句にしている。


時代世話八_20211007184004


 見出し画像は、山東京伝作「時代世話二挺皷」。平将門は六人の影武者がいて、七人の姿をしていたという言い伝えを舞台化した歌舞伎の場面を元にしているのだろうか。絵は喜多川行麿だが、構図やデザインは、自らも浮世絵師・北尾政演(きたおまさのぶ)である山東京伝が考えたのだろう。



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