江戸の川柳九篇④ 親のすね今を盛りとかじるなり 柄井川柳の誹風柳多留
親子の関係も川柳ではよく詠まれる。夫婦は離婚できても、親子の縁は切るに切れない。
江戸時代に柄井川柳(1718~1790)が選んだ川柳を集めた「誹風柳多留九篇」の紹介、全5回の④。
読みやすい表記にし、次に、記載番号と原本の表記、そして七七の前句をつける。自己流の意訳と、七七のコメントをつけているものもある。
親のすね今を盛りとかじるなり
549 おやのすね今をさかりとかぢる也 前句不明
説明不要だろう。今を盛りと親のスネをかじっている。と、書いてはたと思った。今の子どもに、「親のすねをかじる」と言って意味がわかるのだろうか。
すねなんてかじりたくないと思う子どもにも、これでもかとスネをかじらせる親のなんと多いことか。何でも与えれば子育てをしていると思っている親のなんと多いことか。甘やかされて育つ子どもの人生は、本当に幸せになるのだろうか。
教育についてもいろいろ書いてきたけど、甘やかすことについて、こんなことも書いたなあ・・・
まつすぐに白状をする五月目
544 まつすぐにはく状をする五月め 前句不明
妊娠したことを知られたくない女性もいる。そのため堕胎専門の医者が江戸時代にはおり、「中条」と呼ばれていた。
それだけ堕胎が多かった。それだけ妊娠も多かった。
妊娠を隠していても、五ヶ月目にはお腹も大きくなってきて、もう隠すことができない。そこでついに「実は」と白状することになる。
不快だと嫁を会はせぬにくいこと
594 不快だと嫁をあはせぬにくい事 前句不明
嫁に会いにお客が来た。その対応をした姑が、「いや、今ちょっと嫁は留守にしてますよ」と、奥に嫁がいるのにいじわるをする。古川柳ではパターン化している嫁と姑のひどいもの。
釣り竿をしまつて周の代を始め
590 釣竿をしまつて周の代をはじめ 前句不明
江戸の人は、「太公望」の故事もよく知っていた。
昔、中国の周の国で、呂尚という人が釣りをしていると、周の文王がやって来て、話をすると、呂尚のすばらしさを知り、師として太公望と呼んだ、という話。今でも釣り人のことを「太公望」と呼ぶのは、ここからきている。
ということで、呂尚は釣りをやめて、周の国のためにつくした、という句。
人々が歴史的な話を知っているからこそ成立する句。
今回は「前句不明」の句ばかり。
本来は、五七五七七の形で完成する日本の伝統詩なのだが、五七五だけでも完成形となる俳句、そして川柳が江戸時代に完成した。
神代の昔から五七五七七で歌を創っていた日本人が、新しい、世界でも珍しい短詩型の文学を江戸時代に成立させた。
鎖国をしていた江戸時代は、新しいものが次々と生まれた時代でもあった。外国のマネも必要だが、日本の歴史を知ることによって、今でも新しい発見、発明が生まれるかもわからない。
明治時代に、俳句、短歌を正岡子規が新しく今のように変えた。これも温故知新で、昔を知っていたからこそだろう。
「誹風柳多留」のまとめは、