古川柳つれづれ 雨蛙すぐに其角がわきをつけ 柄井川柳の誹風柳多留三篇⑤
「雨蛙」といえば「其角」が浮かぶ。「勘当」といえば「艶二郎」が浮かぶ。江戸の人々の常識が川柳を成立させる。
江戸時代に柄井川柳が選んだ「誹風柳多留三篇」の古川柳作品の紹介、最終回。
読みやすい表記にしたものの次に、記載番号と原本の表記、前句を記す。
自己流の意訳を載せているものもあり。七七のコメントもつけたりしている。
勘当を許して口が二つ増え
521 かん当をゆるして口が二つふえ かためこそすれかためこそすれ
道楽息子を勘当したが、その勘当を許すことになった。息子が惚れた女とも所帯を持たせたので、食い扶持が二つになった。
「かためこそすれ」という前句に対して、「あっ、かためたのは結婚だ」と思って創った句。道楽息子の身を、なんとかしてかためさせようとした話は黄表紙「江戸生艶気樺焼」にもある。
勘当を許すと嫁もついてくる
親はいつでも子どもに甘い
女湯の方へはらせる血の薬
576 女湯の方へはらせる血のくすり さそひこそすれさそひこそすれ
銭湯にはさまざまな広告が貼られていた。女性特有の病気、血の薬の広告は女湯に貼らないと意味がない。
「誘いこそすれ(さそひこそすれ)」と、江戸時代にはコマーシャルが盛んで、人々の購買意欲を誘っていた。黄表紙作者などのいわゆる戯作者は、自分の作品の中で商品紹介をしたりもする。「この薬はよく効くらしい」なんてセリフがあったりする。まるで現代のユーチューバーの「案件」だ。
女性用薬の宣伝女子席で
男女平等それとはまた別
雨蛙すぐに其角がわきをつけ
596 雨蛙すぐに其角がわきをつけ そのはづのことそのはづのこと
其角が雨乞いのために三囲神社で、
夕立や田を見めぐりの神ならば
と詠めば、たちまち雨が降り始めた。その句にあわせて雨蛙も俳句に「脇をつける」ように鳴きだした。
宝井其角は芭蕉の俳句の弟子。
其角の雨乞いの話は(本当かどうかは知らないが)江戸の人はよく知っていた。
「脇をつける」とは、五七五の句に対して、それに続ける七七をつけること。(川柳は、最初に七七の問題があり、それに五七五をつけるので、これとは逆)
アマガエルすぐに其角の脇をつけ
ゲコゲコ鳴いて雨が降る降る
言葉ってものは力を持っていると思われていた。言霊としての力があるから、短歌や俳句を詠んだら雨が降ったりもする。
妖怪の中でもぬゑは細工過ぎ
711 やうくわいの中でもぬゑは細工過 いろいろがあるいろいろがある
鵺は、「頭は猿、尾は蛇、足手は虎のごとく」といわれるように、頭はサルで、手足はトラ、しっぽはヘビと、いろいろなものが集まったキメラとなっている(「いろいろがある」)。ちょっと他の妖怪に比べて細工のしすぎだ。
ヌエは、源頼政が射落としたと伝えられる。時代とともに妖怪が人間にかんたんにやられてしまうようになってしまう。妖怪は人間を超えたものとして、「神」と同じ扱いをされていた。その神がだんだん落ちぶれて妖怪となり、ついには人間に成敗される存在となってしまう。
妖怪、化け物が世の中からいなくなった。水木しげるが妖怪を復活させたが、江戸時代の文章を見れば、妖怪はいたるところにいる。江戸どころか、水木しげるが子どもの頃には、まだ妖怪がそこらにいた。(鵺退治は、平安時代の話。江戸時代の人は、その話をよく知っていた)
ヌエという妖怪いろいろ寄せ集め
頭はサルで足はトラなり
これで「誹風柳多留三篇」の紹介はおしまい。
つい少し前の日本人の心を知ると、現代人の我々の心も豊かになる気がする。コンピュータで何から何までわかる時代に、言葉の力で雨が降ったり、妖怪がいたりする世界が、なぜか人の心を豊かにする。