老いらくの恋と万葉秀歌
夏になると肌を露出した服の若い女性がたくさん歩いている。
見るなと言われても、エロい目線で見てしまう。
エロは日本の伝統だという人もいる。
大塚ひかりの「エロスでよみとく万葉集えろまん」を見ると、万葉集には天皇がナンパし、人妻ブームがあり、三角関係も多く、老いらくの恋もあると解説している。
老いらくの恋の歌として、
みどり子のためこそ乳母は求むといへ乳飲めや君が乳母求めらむ
をあげ、その訳として、こう書いている。
乳母は赤ちゃんのために雇うものでしょ? あなたはおっぱい飲みたいの? 乳母みたいな年の私を求めるなんて(巻第12・2925)
年下の男に求められた女の歌で、次の歌に続く。
悔しくも老いにけるかも 我が背子が求むる乳母に行かましものを
ほんと残念。年取っちゃって。もっと若ければ、あなたが求める乳母になって、あなたのもとに行ったのに(巻第12・2926)
もっと若い頃だったらよかったのにと、相手を完全に拒絶していない。まあ、おっぱいが出る年齢だから、「老い」といっても、まだまだ若い。
白髪交じりになった女の歌が次に並ぶ。
古りにし嫗にしてや かくばかり恋に沈まむ手童のごと
年取った婆さんなのに、こんなにも恋に沈むものなのか、幼子のように(巻第2・129)
事もなく生き来しものを老いなみに かかる恋にも我はあへるかも
平穏無事に生きてきたのに、年老いて、こんな恋に巡り逢うとは(巻第4・559)
黒髪に白髪交じり老ゆるまで かかる恋には いまだあはなくに
黒髪に白髪が交じって老いるまで、こんな激しい恋はしたことがない(巻第4・563)
ぬばたまの黒髪変はり白けても痛き恋には あふ時ありけり
「ぬばたまの」は「黒髪」にかかる枕詞。「ぬばたま」は、ヒオウギという植物の黒い種子。ヒオウギは花が美しいので栽培される。黒いタネが黒光りするところから、「黒髪」や「夜」の枕言葉となる。
黒髪が白髪に変わっても、つらい恋に出逢う時はあったのですね(巻第4・573)
「巡り逢う」とか「出逢う」とか、「逢う」という漢字で訳しているが、「会う」ではなく「逢う」とわざと書いている。「逢う」にはただ会うだけでなく、会ってセックスするという意味がある。
ちょっと昔、週刊誌で流行った「死ぬまでセックス」ではないが、いくつになってもエロい気持ちはかわらない。
とはいうものの、年老いて激しい運動をすれば心臓がとまりそうになってしまう。その前に、激しく動けば体がつってしまう。足がつるだけでなく、胸もつる。若い頃には胸がつることなんてなかったのに、ほんまに胸がつる。
ああ、激しい運動もできなくなってしまった。体力の衰えを感じてしまう。
それでも心がエロくうずく冷房のきいた夏の通勤電車の中。
どの言葉に反応したのか、AIによってこの記事が18禁にされてしまった。
今話題の「もも太郎アイス」のCMのようにすればよかったのかな。
学生服とセーラー服姿の老人の恋のやりとりを描いている。
いくつになっても恋を忘れない。
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やっぱり年寄りは「最強」だな。
ということでAdoの「私は最強」のリンクも貼っておく。元気が出るぜ。