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人目も草も枯れぬと思えば、命をいただく「いただきます」 冬の百人一首④


誰もいない
山里はさらにさびしい
誰もこない
草木も枯れた
誰もいない

山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草も枯れぬと思ば  源宗行みなもとのむねゆき朝臣あそん


山里の冬は特に寂しい。人も来ないし草木も枯れてしまうから。


 冬の百人一首を並べてきた四首目。百人一首通番では二十八番目。冬の歌の最終回。

 人のいなくなった冬は寂しい。人だけでなく、草木も枯れる。人も草木も同じ立場で並べている。人の命も草木の命も、同じ命として感じている。自然と人と、「いのち」としては同じものと考えている。

 自然は、人間が切り開いていくものだという西洋的な思想ではなく、自然の中の一つが人間であるという東洋的な思想が自然と現れる。
 東洋的というよりも、「日本的」といってもよい考え方。人間が切り開くのが自然、なんてことが考えられないのが災害列島日本だ。雨が多い葦原の中つ国は、山と海が近いから、川の流れが急なので、ちょっと雨が降ると洪水が起こる。昔の人に、大きな洪水を防ぐことなどできない。洪水に立ち向かうのではなく、洪水を避けて水が来ない高い所に避難していた。
 「葦原あしはらなかつ国」という言葉は、日本を表すことばだが、「あしがたくさん生えている国」という意味。葦は水辺の植物。人間に水が必要であり、稲作にも水が必要なので、水の国日本に人が住むようになった。役に立つ水も、被害を与える水もある。そんな水の国が日本だった。


 海から来る津波も、英語でもtunamiで通じるほど日本では多くある。恵みも多いが、災害も多いのが我が国日本。
 津波の原因となる地震も日本では多い。地震を起こすプレートが重なっているのが日本列島であり、まさに地震列島が日本だ。地震から逃れるために、耐震構造の建物を作ったり、竹やぶをつくったりすることしかできない。
 「竹やぶ」の効能はわかるだろうか。竹は節のついた丈夫な根を張り巡らす。その根からタケノコができてくる。丈夫な根が張り巡らされているから、地震で地割れが起きても大丈夫だ。子どもの頃、「地震が起きたら家の裏の竹やぶに逃げろ」と教えられてきた。運良く子どもの頃に、大きな地震にはあわずにきたけど。

 自然を受け入れる日本人は、人間も草木も、自然は全て同じものと感じた。


 作者、源宗行みなもとのむねゆきは平安時代の歌人。頭で考える歌が多くつくられた時代。山里の冬の情景というよりも、山里の冬に生きる人の気持ちを詠っている。その気持ちの中に、人も草木も同じ自然だという思いがある。自然と人工という対立概念ではない。同じ生きものとして見ている。

 日本人は食事の時、「いただきます」と言うが、動物の命を「いただく」だけでなく、植物の命も「いただく」と考える。「いただく」から感謝する。


 動物にしたって、初めから食べるために牛を育てたりはしなかった。欧米では初めから殺すために牛を育てる。日本の畜産農家は欧米のマネをしているだけだ。昔の日本の牛は、田んぼを耕すための労力だった。食べた動物の慰霊もする。
 植物も命を「いただく」。動物と同じように命をもっている植物が目の前から消えたら、同じ生きものとしての人の生活は寂しくなる。そんなことを考えながら日本人は生きていた。


 冬の百人一首はここまで。
 温故知新。1000年以上前の人々は、自然の中に、自分も自然の一部として生きていた。その思想を今につなげていきたい。



タイトル画像はぱくたそからお借りしました。


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