令和版小倉百人一首試作1/5
百人一首を身近なものに。令和の時代の子でも読める百人一首の試作。1~20。
百人一首を、できるだけ原文の言葉を生かしながら、今の子でもわかる短歌としてよみがえらせようという試作。
1 秋の田の粗末な小屋に我一人我が衣手は露にぬれつつ
秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
実りの前の田んぼの見守り小屋。
2 春過ぎて夏が来たのか真っ白な白い服干す天の香具山
春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山 持統天皇
春の山の白い花、白い布。
3 あしびきの山鳥の尾のよう長き長く寂しい夜の一人寝
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む 柿本人麿
「~しだり尾の」までが「長い」を出すための序詞。長~い夜を一人寝る。
4 田子の浦に旅の途中で来てみれば遠くの富士に雪が降りつつ
田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 山部赤人
田子の浦から見る遠くの富士の美しさ。
5 奥山にもみじ踏み分け行き鹿の声が聞こえる悲しき秋よ
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき 猿丸大夫
もみじの山奥で鹿の声を聞く。
6 かささぎが渡すと伝える空の星白く霜降り夜も更けにける
かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける 中納言家持
七夕の夜にかささぎが橋を作り織姫を渡したという言い伝え。
7 大空を見上げてみればふるさとの三笠の山にも月は出てるか
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも 阿部仲麿
異国の月見てふるさとの山を思う遣唐使だった阿部仲麿。
8 わが家は都の東南どっしりと鹿も住むよな静かな宇治山
我が庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり 喜撰法師
宇治山の奥でおだやかな暮らしをしている作者。
9 花の色が空しく変わる春の日に我が身も時代といっしょに変わる
花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に 小野小町
桜の花が色あせるように私の容貌も変化していく。
10 これがまあ行く人来る人別れ人知らぬ人なき逢坂の関
これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関 蝉丸
逢坂の表記「あふさかの関」と「会う(あふ)」の掛詞。
11 海原のあまたの島をかけぬけて私の旅立ち伝えておくれ
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣り舟 参議篁
罪人として島流しになるときの歌。その後、許され出世している小野篁。
12 天の風雲の通路を閉じてくれ天女の舞をも少し見たい
天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ 僧正遍昭
舞を舞う少女を天女に見立てた。
13 筑波嶺の峰より落ちる男女川淵に積もるは私の思い
筑波嶺の峰より落つる男女川恋ぞつもりて淵となりぬる 陽成院
筑波山の滝壺のように深くなった私の恋心。
14 陸奥のしのぶもじずり乱れ模様心乱れてあなたを思う
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに 河原左大臣
東北の乱れ模様の織物かな。「~しのぶもぢずり」までが序詞で、「乱れ」を出す。
15 君のため春の野に出て若菜つむ風は冷たく雪さえも降る
君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ 光孝天皇
あなたにあげる。野菜で春のビタミン補給。
16 別れては因幡の山へと向かうけどあなた待つならすぐに帰るよ
立ちわかれいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む 中納言行平
旅立ちの歌。あなた待つのも松のうち。
17 ちはやぶる神の時代も見たことがない美しきもみじの川よ
ちはやぶる神代も聞かず龍田川唐紅に水くくるとは 在原業平朝臣
「ちはやぶる」は荒々しい「神」の枕詞。
18 住の江の岸に寄る波夜に寄る夜は人にも見られず寄るよ
住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ 藤原敏行朝臣
「夜」と「寄る波」の掛詞。
19 難波潟葦の節の間短くて短い時でもあなたに会いたい
難波潟短き葦の節の間も逢はでこの世を過ぐしてよとや 伊勢
難波潟の葦の節と節の間は短いといわれる。
20 好きなのに苦しい思いがあるばかりどうなってもいいあなたに会いたい
わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ 元良親王
「身をつくし」と「澪標(水路の標識)」の掛詞。
百首をどばーっと並べても読むのがしんどいので、20首ずつ発表していく。これくらいの数がちょうどいいかな。
できるだけ原文の言葉を生かしたいけど、なかなかうまくいかず、最後の「わびぬれば~」なんて原文の言葉からかなり離れちまった。「澪標」どころか「身を尽くす」って言葉も令和の子は知らないだろう。「黒板」って言葉は知っていても、「緑の板」のイメージではないのが令和の子ども。黒板は黒い板かホワイトボードだと思っている。
うーん、百人一首令和版らしいいい言葉ないかなあ。
さて、今回はここまで。