田沼意次失脚を暗示か~山東京伝、江戸の黄表紙「時代世話二挺皷」
田沼時代は、ワイロがまかりとおり、政治の腐敗の時代だったので、田沼意次は失脚し、寛政の改革がおきた。てなことを学校の歴史の時間に学んだと思うが、田沼時代は商業や学問が発展した時代でもある。田沼意次は平賀源内を重用していた。学問がすすんだ結果、「解体新書」が刊行されたりしている。世の中には功罪二面がある。
田沼意次の失脚を題材にしながら、うまくそれを隠し、平安時代の平将門の話としているので、幕府からおとがめを受けていないのが、山東京伝のこの作品。
上巻
一
ここに黄表紙作者の京伝という者あり。毎年本屋から新しい本を出せとせつかれるたびに、体が二つ三つあればと思うに、伝え聞く平将門は、体が七つあったという。七人で稼いだら儲かるだろうな、でも七人分使うから同じか、と地の文がある。
画面には京伝と、妹の米が描かれる。妹は、黒鳶式部の名で黄表紙も描いている。この頃、十代で亡くなっている。
セリフは、
京伝「なんか言いたいが、文字が多くなるから黙っていよう」
黒鳶式部「私も言いたい無駄口はあるけど黙っておりやす」
この黄表紙は女性が出てこないので、ここに妹を登場させたと説明して物語の幕が開く。
黄表紙には絵と文がある。文は物語を描く地の文と、登場人物のセリフの部分がある。セリフは当時の江戸の言葉で描かれることが多く、内容も物語と関係ない江戸の事物についてのものがある。そういう部分を楽しむのが黄表紙だ。遊里を舞台にして、遊女が出てくることが多い黄表紙だが、本作は、歌舞伎と同じで男だけの出演の作品となっている。
二
朱雀天皇の頃、平将門が東国で乱を起こした。天皇の命令で、通称、俵藤太=藤原秀郷が討伐に向かう。天皇の前に三人の公家がおり、秀郷がひかえている。
公家「どうぞ将門をぶっちめてくれろ」
秀郷「委細承知つかまつりました。あいあい。こんなときに、なんとあいさつするか知らねえや」
公家「これ秀坊、この間、留守にしていたのは遊里通いか。その店は、松葉屋か丁子屋か、玉屋か扇屋か、それとも仲町の尾花屋かの。おれのなじみの女郎からのことづけはないかなあ」
平安時代の物語なのに、江戸時代の言葉で、江戸の町の女郎屋の名前を並べている。各店の宣伝にもなっている。セリフはストーリーとは関係ない江戸っ子言葉で無駄口が多い。
これが黄表紙。
平安時代を舞台に江戸の風俗を表現している。
三
家来を隠し、一人で平将門に対面する藤原秀郷の図。
秀郷「あなたは早業の名人と聞いている。私も少しできるので、早業比べをして、私が負けたらあなたの見方になりましょう。あなたが負けたら、ここを潰して帰りましょう」
将門「こいつはよかろう。負けても文句は言いっこなしだぞ」
四
平将門は、藤原秀郷を味方につけようと思い、我が早業を見せようと、一人で七人前の大根の膾(=酢の物)を作ってみせる。六人の影法師が後ろで手伝うが、人には見えない。
将門「なんときついもんだ。これじゃ、仕出し屋の料理人だ」
秀郷すこしも騒がず、飯倉明神前の「なこ屋」で買った「早業八人前」(千切り器の商品名)を出し、八人前の膾を作る。七人の将門より一人前多い。
秀郷「私の料理は、あなたのように包丁はいりません。」
(二の)遊女屋の宣伝と同じく千切り器の宣伝をしている。宣伝というより、流行のものを紹介しているのかな。
五
将門、料理には負けたけれども、芸能では負けまいと、歌舞伎の七変化の所作事を一度にして見せる。当時の歌舞伎役者の似顔絵であろう七変化が描かれる。
六
将門、所作事がうまくいきヒゲをなでて得意になると、秀郷は、かねて習いし八人芸で八種の楽器を奏でる。三味線や小鼓、太鼓などを一度にする。
将門「なるほど器用なやつだ。また一人分負けた。ちぇ、いまいましい」
ここで上巻が終わる。「時代世話二挺皷」は上下2巻。黄表紙は、上下2巻、あるいは上中下3巻が多い。
1巻は10ページで、見開きになっているものも多いから、1ページ分だけの最初(P.1)と最後(P.10)以外が見開きだとすると、全6場面となる。
下巻
七
将門、文字の早書きではかなわないだろうと、七ついろは(片仮名、平仮名、万葉仮名などの七種の書体)を一度に書いてみせる。秀郷、国語辞典で八種の文字を一度に引き、そのうえ、八個の鉦を一度に打ってみせる。
八
平将門、あせって正体を現す。
将門「われ、まことは姿が七つあるからの早業だ。なんじは、よもやこのマネはできまい」
七つの姿を現し、七人がそれぞれセリフを言う。
将門「なんと奇妙か」
「なんと奇妙か」
「なんと奇妙か」
「なんと奇妙か」
「なんと奇妙か」
「なんと奇妙か」
「なんと奇妙か」
九
秀郷、これを見て言う。
「われは姿が八つあり。あなたの目には見えまい。このメガネで見よ」
浅草雷門の駒形の眼鏡屋で買った八角メガネ(のぞくと見た物が八つに見える)にて姿を見せる。平安時代の話に、江戸の眼鏡屋が出てくる。将門は、なるほど秀郷が八つに見えるので肝をつぶす。
十
秀郷「約束のとおり、領地を没収し、売り物という札をはって帰らん」
と言えば、将門、頭にきて、七人の姿で、おのおの槍を引っさげ突いてかかる。秀郷は、日頃念ずる浅草の観世音を念ずれば、不思議や雲中に観音が現れ、千の矢先で射かけたまう。
観音様は、久しく矢を放たなかったので、千本中百九十三個までが外れたが、残りの七本が七人の将門のこめかみに当たる。
十一
将門が弱ったところに、秀郷立ち寄って、首をはねれば、不思議や、切り口から血潮が吹き上げ、「心」と書かれた七つの魂が飛び出る。
秀郷「ああら不思議、心太の看板じゃねえか」
十二
藤原秀郷は、なんなく平将門を退治せしも、浅草観音のおかげなりと、絵馬を奉納する。将門が霊を、神田明神という。そのころ神田に夜な夜な七曜の星の光っていたのは平将門の魂なり。
ちなみに神田には、七曜星を紋所とする田沼意次の屋敷があった。
二冊の黄表紙に、首尾よくこじつけ、めでたしめでたし。と結んでいる。
「時代世話二挺皷」刊行の翌年発表の黄表紙「黒白水鏡」(石部琴好作・北尾政演=京伝画)は同じく田沼意次失脚を題材にしており、こっちは幕府に目をつけられ、絵師、北尾政演として、挿絵を描いた山東京伝は罰せられた。
黄表紙の現代語訳は、