はっぴいえんど
秋桜畑と空飛ぶクジラの写真を見た。すると、自然に「空飛ぶくじらが ぼくを見ながら 灰色の街の空を 横切っていくんです♪」(「空飛ぶくじら」詞:松本隆、曲:大滝詠一)の歌詞とメロディーが浮かび、「はっぴいえんど」を思い出した。
「はっぴいえんど」(活動は1969~1972)は、細野晴臣、大滝詠一、松本隆、鈴木茂のバンドで、日本語のロックを作ったといわれる。それまでは、ロックといえば英語の歌詞で、日本語はリズムに乗らないと思われていた。
私個人は、ロックのリズムというよりも、メロディーと歌詞が心地よいからはっぴいえんどを聞いていた。
細野晴臣(1947~)は、はっぴいえんど解散の後、坂本龍一、高橋幸宏とともにイエロー・マジック・オーケストラ、YMOを結成し、世界的に有名になっている。
大滝詠一(1948~2013)はナイアガラ・レーベルを設立したが、65歳で亡くなった。
松本隆(1949~)は、作詞家としてあまりにも有名。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」やKinki Kidsの「硝子の少年」などはもとより、「赤いスイートピー」など松田聖子の曲の大半を作詞している。
鈴木茂(1951~)もずっと音楽を続けている。
こんなすごい4人組だが、最初の頃は、フォーク(ソング)の神様といわれた岡林信康のバックバンドをしていた。岡林は「山谷ブルース」などが今でも歌われる。
はっぴいえんどのレコードも弱小レコード会社のURC(アングラ・レコード・クラブ)から発売されており、それを私は聞いていた。「風街ろまん」というアルバムには4人の顔が描かれている。これを描いたのがマンガ家の宮谷一彦(1945~2022)。うわあ、なつかしいな。宮谷一彦のマンガは、虫プロが、手塚治虫の「火の鳥」を発表するために発行した雑誌「COM」に掲載されていた。アルバムの絵は、写真を元に修正したものだそうだ。
「空飛ぶくじら」は大滝詠一の曲で、ソロでレコードを出してはいるけど、私ははっぴいえんどと結びついている。はっぴいえんどのアルバムの中にも入ってなかったっけ。はっぴいえんどでも歌ってなかったっけなあ。あまりにも記憶が古すぎてあいまいだ。
まあ、この曲は好きな人が多いみたいで、どっかのCMでも使われていた。あの時代にはっぴいえんどが好きだった人がプロデュースしたのだろうか。若い人でも、聞いたことがあるんじゃないかな。
CMで流れていたといえば「風をあつめて」もよく聞いた。これこそはっぴいえんどの代表作といわれる。「それでぼくも風をあつめて 蒼空を翔けたいんです♪」という歌詞とメロディー。聞いたことないかなあ。
写真から連想して思い出の曲が浮かび、昔の思い出を口ずさんでいた。
思い出のメロディーは詞とともに心に残って歴史をつくる。あのころの情景も心に残っている。
なつかしい思い出を思い出すことが、それで終わるのではなく、新しい今という日を生きることにつながっていくのだろう。