
【短編小説】 プロローグ #シロクマ文芸部「夢を見る」参加作品 (約2200字)
「夢を見る素質は誰にでもある。資格なんか必要ないよ。」
その人の表情は穏やかだった。今まで出会ったことのないタイプの人間だった。
俺は小1のある日の帰り道、その人に「僕は夢を見る資格がないんだ。」と言った。なぜそんなことを言ったのか、細かいところまでは記憶にない。
朧げに覚えているのは、無表情で子供っぽさがない俺にその人が話しかけて来て、しばらくしてから言った言葉だったと思う。
大人に囲まれて育ち、語彙だけは豊富だった俺は意味もろくにわからないまま「資格」という言葉を使ったが、彼は「素質」という聞いたこともない言葉で返してきた。
頭の中が整理できず半ば迷子のようになった俺を見て、その人は優しく微笑んだ。
「誰でも夢を見る種を持ってるってことだよ。」
「種?」
「そう。それにしっかり水をあげて、光に当てて、ちゃんと肥料をやる。やがて木になって、夢の蕾をつける。」
「本当にできる?」
「できる。」
その人はしっかりと俺の目を見て、ゆっくりと頷いた。
育った環境の影響が強く、俺は大人の言うことを信じられない子供だった。
大人はズルくて、嘘をつき、誤魔化し、振り回す。
すんなり彼の言うことを鵜呑みにすることができなかった。
「種はどこにあるの?水をどこにあげたらいいの?」
その人は目を丸くした。気の強い物言いや、突然の反抗的な声色に驚いたのだろう。
植物を育てた経験が乏しい俺は、ちょうど春から夏にかけて学校で育てたアサガオのことを思い出していた。何も知らない子供だと、バカにされまいと必死だった。
「肥料って、アサガオ育てる時に土の上に置いたのみたいなやつ?」
その人の言葉を完全に疑っていた俺は矢継ぎ早に、半ば責めるようにその人に質問した。その人はやれやれといった表情をして頭を掻きながら上を向いた。
しかし、俺に再び顔を向けた時、その人の瞳には悲しげな光が揺れていた。
「ごめんな。親は選べないからな。」
その時はなぜ謝ったのか、何を言っているのか分からなかった。けれどそれ以降、彼と会う度に俺の記憶は次第に蘇る。
だが、この時の俺は「謝るんじゃなく、答えて。」と迫った。
「種はここだよ。」
そう言って彼は俺の頭にそっと手を置いた。そして、この種には本当の水をあげるんじゃなくて、毎日たくさん想像したり空想したりするのが、この種にあげる水なんだと教えてくれた。
だが、大人を中心とした現実的な世界に身を置くことを余儀なくされていた俺は、彼の言っている意味が全く分からない。想像するという意味すらわからなかった。
それを伝えると、彼は困ったように顎に手を置き上を向いた。しばらく考えていたが、ふと思いついたといった表情で顔を向けてきたかと思うと、しゃがんで俺を見上げた。
「じゃ、次に会ったら何をしようか?」
面食らった。想像もしていなかった質問だ。
「また僕に会う気なの?」
「会いたい。」
その人は真剣な眼差しで俺を見つめた。全く知らないタイプの大人に少しだけ興味が湧いた。
俺なんかに会ってどうしたいのだろう。見ず知らずの大人が子供に会いたいなど、そうあることではない。
次に会ったら何をするんだろうか。頭に浮かぶのは、『攫われるかもしれない』などネガティブな内容がほとんどだったが、その時の俺の頭の中には想像が巡っていた。
それと同時に、知らない人と話をしたり、ついて行ってはダメだと先生をはじめとする多くの大人たちに言われていたことも思いだした。
しかし、この時点ですでに、その人への興味は大きくなっていた。それに、今まで出会ったどの大人よりも安全に見えた。
「遊ぶってこと?」
その人は目を輝かせた。反応があったのが嬉しかったのかもしれない。
「遊びたい?」
「いや…分からない。」
「遊ぶとしたら何をする?」
「え…?」
俺は俯いた。考えようにもアイデアが湧かなかった。俺が考える遊びをしてもらったことがなかったからだ。するとその人は優しく目尻を下げた。
「来週の今日、僕はこの公園で待ってる。君も来られそうなら来て。」
何かが心の中で動くような感覚を覚えた。初めてのことだった。
「その時までに、どうやったら楽しく遊べるか考えてみて。思いつかなくてもいいんだ。とにかく、僕と遊ぶなら何ができそうか。想像してみて。」
彼の明るい表情をみて、俺は少し困らせてみたくなった。
「来ないかもよ。」
全身が脈打つような気持ちを抑えて、わざと心にもない言葉を返した。
彼は一瞬、うっすらと悲しそうな笑みを浮かべたが、すぐに俺を安心させるように一つゆっくりと頷いた。
「来られなくてもいいよ。でも、僕は夕陽が沈むまで待ってる。いい?」
「…うん…わかった。」
俺を待っていてくれる人がいる。そう思うだけで、心臓で何かが蠢いてくすぐったいような、喉がクスクスして胸の真ん中がじんわりと暖かくなる、初めて覚える不思議な感覚に襲われた。
ドクドクと脈打つ速い鼓動はそれまでもたくさん経験していた。だが、辛いとか、悲しいとか、叱られる時とは違う。「待ってる」というその人の言葉を思い出すたびに繰り返す、その拍動の正体がその時の俺にはわからなかった。
これが「嬉しい」という感情だと知るのは、それよりも少し後になってからだ。
当時はその人と、通りすがりで出会ったと思っていた。けれど今思えば、俺と関わる機会を探っていたのかもしれない。
それが、柊巽と、「涼介」としての俺の、初めての出会いだった。
※この↓シーンで触れられている土井の子供の頃からのエピソードを描く物語の序章(「警察官土井涼介」のプロローグ)です。
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今回もこちらの企画に参加させていただきました。いつも素敵な企画をありがとうございます。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。