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【SF短編小説】 ハチミツ #シロクマ文芸部 「ハチミツは」参加作品
※本文約1900文字です。
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「ハチミツはね、採れる場所で味が違うんだよ。」
マヤはベッドに寝ているヴィクトルの横で得意げに話す。
ヴィクトルが寝込んでいる時には、マヤがベッド脇で地上の話をすることが習慣になっていた。
「そうだね…蜜源になる花の香りがハチミツの風味に影響するからな。」
ヴィクトルは口元に笑みを浮かべる。
「草原のハチミツは、クローバーやレンゲとかの花から採れることが多いから、あっさりした甘さやフローラルな香りが特徴。森のはちみつは、クリやシナノキといった樹木の花が原料で、コクのある深い甘さが特徴。苦味やスパイシーさを含む、独特の風味を持つことが多い…」
マヤは口を尖らせる。地上の話をしても、ヴィクトルの知識に持って行かれてしまうのだ。そうなるともう太刀打ちできない。こうなった時は、マヤの最終手段を出す。経験で勝負だ。
「こ、コクがあるとか、あっさりとか…草原とか森のハチミツ、食べたことあるの?」
「ないな…」
マヤは自分が知っていることが見つかったのが嬉しくて、少し得意げにヴィクトルの瞳を見つめる。
「どれも美味しいんだよ!どれが一番とかないんだから。」
「…そうか。」
ヴィクトルが優しく微笑む。彼にあるのは知識だけだ。味は結びついていない。
最近の彼の楽しみは、マヤの得意げな笑顔と膨れっ面を眺めること。それを見たくて、つい地上の話を要求してしまう。
「本当に食べたことないの?」
「…ハチミツだけっていうのはない。」
「一回も?」
「ないよ…あんなベタベタするものを、そのまま食べる理由がないから…」
マヤは目を丸くする。ハチミツを食べるのに理由など必要なのだろうか。その時、彼女はふと何かを思いついた様子でスクッと立ち上がる。
ヴィクトルは不安そうに彼女を目で追う。何か気に障ることを言っただろうか。
「ちょっと、出てくる。すぐ戻るね。」
マヤはドアに向かう。ヴィクトルはマヤの背中に声をかける。
「いってらっしゃい。」
「はーい。」
彼はドアが閉じられるまでマヤの背中を見送った。
マヤは三番街の食料品店へ急いだ。ここの店員は皆ネウロノイドで、マヤの立場を妬む者はいない。
ドアを開けると元気よく挨拶を交わし、カウンターに立っているネルの前に立った。
「ハチミツ、あるかな?」
「運がいい!昨日地上から入荷したばかり。種類が豊富だよ。」
マヤの表情が明るくなる。
「じゃあ、全部!」
「本気?」
「うん!食べ比べしてみたいから。」
ネルは驚きつつも笑い、すぐに品物の準備を始めた。レジで支払いを済ませ、品物を受け取ると、マヤは急いで店を出た。
意気揚々とヴィクトルの部屋に入ると、彼は笑顔でマヤを迎えた。
「早いな。」
「だって、早く試食してもらいたくて。」
そう言うとマヤは、10種類のハチミツの小瓶を袋から一つずつ取り出し、サイドボードに並べた。ヴィクトルは目を細めてそれを視線で追う。
「一個ずつ、味見していこう。私も初めてのがあるの!たのしみぃ〜。」
マヤは満面の笑みを浮かべ、両手を頬に添えた。
彼女が食べたかっただけではないかと考えた途端、ヴィクトルは笑みをこぼす。
「それでは、始めるとしますか。」と言いながら、マヤは一つ目のビンの蓋を開け、ティースプーンを沈める。ゆっくり引き出すと、ハチミツの糸が切れるまで、真剣な面持ちでじっと待った。
「はい!」
寝ているヴィクトルの口元に、マヤがスプーンを差し出す。ヴィクトルが口を開けると、マヤはハチミツの大きな雫をヴィクトルの舌の上に落とした。ぽってりと舌の上にハチミツが到達すると、彼は思わず口を閉じた。
「ああああー!閉じたら、ダメ!ベタベタ!」
細い糸のようなハチミツがスプーンからヴィクトルの口につながっている。
マヤはすぐに濡れタオルで、そっとヴィクトルの口元を拭う。ヴィクトルは口を開くことなく、目元で微笑んでみせた。
彼の口の中も大騒ぎになっていた。初めて食べるハチミツはゆっくりと口の中に広がっていく。チリチリと感じるほどの強い甘みの中に、爽やかなレモンの花の香りを感じ、ヴィクトルは目を丸くする。彼が大好きな香りの一つだ。
資料に書いてあった通りだった。ヴィクトルは目を閉じて、香りと味を楽しんだ。彼の様子を嬉しそうに見ていたマヤも、同じハチミツを口に入れ味わう。ゴクリと飲み込むと笑顔になった。
「いや!ほんと!レモンの香りがする!すごい!」
彼女の感動は全て言語化するらしい。ヴィクトルは吹き出した。彼女は見ていて飽きない。こんな風に、ずっと見ていられたら…。彼は目尻を下げた。
二人のハチミツ談義は、和気藹々と夕食まで続いた。
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今回もこちらの企画に参加させていただきました。いつも素敵な企画をありがとうございます。
この短編は、SF長編小説のサイドストーリーです。宜しければ、本編もよろしくお願いします。
同じシリーズの短編集はこちらです。
最後までお読みいただきありがとうございました。