ものと向き合う
先日、「大量廃棄社会 -アパレルとコンビニの不都合な真実-」というタイトルの本を読破した。
サブタイトルからも分かる通り、扱っている内容は「衣」と「食」に見られる大量廃棄の現状について。私自身「食」の廃棄、特に食品ロスについて関心があり、本書を購入した。
読み進める中で一番印象に残ったのは「私たち消費者にとって最も大切なことは、目の前のものと向き合うこと」だという言葉だ。
例えば、普段着ているTシャツ。それが、どこから来ているのかを知っている人、気にかけている人は果たしてどれくらいいるだろうか。少なくとも私は、これまで気にしたことはなかった。中には、服がどこで作られたか(Made in 〇〇などと書かれている)を見て購入している「賢い消費者」もいるだろう。が、その人たちに問いたいのは、その服の「素材」はどこの国で栽培(生産)されたものなのか、服の「作り手」はどんな人なのか、服に程よいアクセントを与える数々の「装飾品」は一体どこで製造されたものなのか、すなわち、1着のTシャツを取巻く生産の現場をどこまで想像したことがあるかということだ。私を含めて多くの人は、目の前の服の表面的な情報だけ、自分にとって必要な情報だけを見て、その背後に広がる長い長い工程を見ようとはしない。
例えば、ポテトチップス。日本ではC社のシェアが多く、どの小売店でも見かける大ヒット商品だ。私たちは、C社のポテチを見ると「ポテチ=C社が作ったもの」という図式を思い浮かべるが、これは少々短絡的である。ポテチの材料となるものは日本国内外、様々な地域で生産されているし、袋の製造だって、同社がおこなっているとは限らない。テレビのコマーシャルやチラシの「C社 ポテトチップス」の文字は、商品のごく一部の情報を表しているにすぎず、実際、1つの商品の製造には国内外の多種多様な業種・人材が関わっているのだ。
私たちに身近な「衣食」を支えるものを例に考えてみると、多くの人がどれだけ商品の表層的な部分しか見ていないか、商品のバックグラウンドを認識できていないかが見えてくる。
ものと「向き合う」とは、ものの「表」も「裏」も、私たちにとって「都合のいい情報」も「そうでない情報」も、「生産現場」のことも「廃棄現場」のことも、とにかくあらゆることを意識しようとする姿勢のことだと思う。ものと立体的に向き合ってこそ、大事にしようという気持ちが芽生えるし、「賢い消費者」になることもできるのである。
さて、本書では、ものの「大量廃棄」の原因が産業の構造にあることを指摘しつつも、消費者の側の責任にも言及している。換言すれば、たくさんの「消費者が、目の前のものと向き合うこと」が、産業のシステムを変革する可能性を秘めているということだ。
「大量廃棄社会」を生きる一人の人間として、自分の行動を見直し、変えられる部分から変えていきたい。