関西制覇の旅
いつも読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。おーん。
おどろおどろしい標題とタイガースのアレな画像ですが、なんのことはありません。旅、そして電車です。はつきり言ふて。
そして昨日、アレのアレしました。
今回の旅は、関西方面。大阪及びその周辺の乗り残した鉄道の完乗を目指します。
仕事後、急ぎ自宅に荷物を置き、いつもの陽だまりの泉 萩の湯へ行きました。
混雑と気に障る客が多く、早々とサウナを切り上げました。複数で来てさらに会話の五月蝿い者、当事者は楽しいでせうが、まはりは迷惑してゐることに気づいて欲しいものです。
ムーンライトながらに似て
高速バス
けふは、東京駅からしばらく歩いたところにある、大手町グランキューブから夜行バスに乗ります。久し振りのWILLERです。今宵の寝床といふべき座席は、一番前の通路側でした。残念なことに、USBポートが使へない…。ケーブルを挿しても充電がされませんでした。
隣には糸井嘉男似のマッチョな男性が。Tシャツ一枚で寒くないのでせうか。
二十二時五十分に出発し、二十三時四十分過ぎに海老名サービスエリアで休憩がありました。降りてみると、停車中のバスの群れが壮観でした。中には、姫路行きのプリンセスロード号の姿もありました。
海老名サービスエリアを出発してからすぐに寝ました。休憩の度に目を覚ましたが、おほむね四時間は寝られました。寝起きは思ひの外、スツキリしてゐました。
終着のささしまライブには五時半頃に着きました。歩いて名駅まで行き、東海道線の各駅停車で米原駅に向かひます。
三連休初日。キャリーバッグを引きづる女性が目立ちます。そして、アレ、ほんたうに邪魔です。
それと、寒いです。実は季節は冬。多めに服を着て来て正解でした。玉川、寒さに弱くてすぐ自律神経を乱します。
夜明けの東海道本線
六時四分、米原駅行き各駅停車3303Fが入線してきました。
岡崎駅から来たこの列車、そこそこ混んでゐます。定刻より二分遅れて、六時十二分に出発しました。米原駅での乗り換へ時間が短いので、不安です。
『時刻表』を見てゐて気付いたのですが、この列車、平成八年当時、さうムーンライトながら誕生時のそのダイヤによく似てゐます。なんだか、ながらに乗つてゐるやうな気分になりました。名古屋駅での停車時間、混み具合、ダイヤ、忘れてゐたながらの記憶が蘇ります。
座席は転換式クロスシート。進行方向右手の窓側に座りました。しばらく走ると、短い区間ですが名鉄と併走しました。あの路線には来月乗りに行きます。
ちやらい若者の集団が、大声で会話し、車内は雑然としてゐます。ながら時代の寝起きの静寂と違ひます。彼らは清州駅で降りて行きました。つくづく思ふのは、教養がないといふのはげに恥づかしいことですね。
真清田神社の鎮座する尾張一宮駅に着く頃。
前の席にゐる頭髪の不自由な男性がしきりにカーテンを開け閉めして、私の顔を伺つてゐます。
木曽川を渡り、岐阜城が見えてくると、間もなく岐阜駅です。一分遅れで着きました。
長良川を渡り、穂積駅を経て次は大垣駅です。私の乗るこの列車は米原駅行きなので、降りる必要も、走ることもありません。なので、ドア付近で待つこともなく、座席に座つたままです。
大垣は数年前に、樽見鉄道と養老鉄道に乗るために来た時以来です。
揖斐川を渡り、しばらく行くと大垣駅です。芭蕉が『おくのほそ道』の終はりの地としたところ、水のうるはしき街です。私はさらに東海道本線のほそ道といふべき大垣駅から米原駅間を越えて行きます。
垂井駅の次、関ヶ原は二度の天下分け目の戦ひがあつた地。一つは壬申の大乱であり、今一つはいふまでもないでせう。にはかに柿本人麻呂の高市皇子挽歌が思ひ出されます。
しかし、私はそれらの戦よりも、不破関を思ひ浮かべてゐました。古代三関の一つであり、歌枕です。
この頃には、時刻の遅れを取り戻してゐました。
醒ヶ井駅の醒井は、『太平記』にも現れる地、日野俊基の故事が思ひ出されます。
米原駅に着きました。ここから、近江鉄道に乗ります。
やつと近江鉄道
窓口で、ワンコインスマイルきつぷ(500円)を購入しました。
七時三十三分、米原駅を定刻に出発しました。東海道新幹線と併走しつつ、田園地帯をゆつくりと走ります。
鉄ヲタ二人組みの話し声が五月蝿いのが気に障る中、彦根駅到着。車窓には、遠く琵琶湖が望まれます。
鉄ヲタ二人組みが降り、車内が静かになつたと思つたら、四分の停車時間を利用してウロついてゐだけでした。
ひこにゃんの存在を無視して、私は列車に乗り続けます。玉川、ゆるキャラ好きです。
彦根口駅まではかなりのんびり走つてゐましたが、にはかに速度を上げると高宮駅に着きました。私はここで多賀大社前駅行きに乗り換へます。
鉄ヲタ二人組みもここで降り、一心不乱に写真を撮つてゐます。
枝分かれしたかのやうな線路の上を走ります。次のスクリーン駅は、駅前にスクリーンといふ企業があります。この企業のための駅のやうな感じです。
大きな工場、そばの花、田んぼを見ながら、わづか七分の乗車で多賀大社前駅に着きました。
多賀大社前とはいふものの、岐美二神をお祀りする多賀大社までは歩いて十分ほどかかります。
すぐに折り返して、再び貴生川・近江八幡方面に向かひます。
鉄ヲタ二人組みは多賀大社にでも参拝に向かつたのでせうか。姿が見えません。
八時二十五分、多賀大社前駅を出発し、高宮駅で八時三十七分発の貴生川駅行きに乗り換へます。
車窓左手には東海道新幹線。再び併走しますが、相手は一瞬で抜き去つて行きますし、一段高いところを走るのでよく見えません。
田園風景を見ながら、尼子駅、豊郷駅と各駅に停まつて行きます。車窓はのどかで落ち着きます。
愛知川駅で行き違ひ列車と交換し、しばらく走ると愛知川を渡りました。私の乗る列車が今渡つてゐるイギリス製の愛知川橋梁は、明治三十年に作られました。
次の五箇荘駅で、恐らくひかり631号またはのぞみ7号が走り去るのを見て、東海道新幹線と離れました。
素敵な風景の河辺の森駅を経て、八日市駅に着きました。田んぼには白鷺がをり、そして畦道には曼珠沙華が今を盛りと咲きにほひ、旅人の心を慰めてくれます。
八日市駅で、近江八幡駅行きに乗り換へます。
車窓は住宅地が多く、太郎坊宮前駅といふ興味深い駅以外、特に目立つたところはありません。
車窓右手にそば立つ山とそこに立つみ社、すなはち太郎坊宮に目を奪はれました。
また、新八日市駅の駅舎は、木造二階建ての素敵な駅舎です。
近江八幡駅に着きました。
近江八幡といへば、「鬼平犯科帳」でお馴染みのあの風景ですね。古い人なら萬屋錦之介、比較的最近なら中村吉右衛門でせうか。私は後者です。
近江八幡、とても行きたいのですが、見送ります。運良く恋人ができた時に再訪します。マア、無理な話しでせうが。
折り返して八日市駅に戻ります。そして、近江鉄道完乗に向けて貴生川駅に向かひます。八日市駅で二十五分の待ち時間があつたので、食糧を調達しました。
駅の中にある近江鉄道ミュージアムを見学しました。
小さなミュージアムです。
しかし、当時の風物が偲ばれ面白いものです。
十時二十七分、貴生川駅に向けて出発します。
次の長谷野駅は、ながたにのと読みます。田園と住宅の中をのんびり走ります。びわこ学院大学といふ初めて知つた大学を通ると、住宅が少なくなります。
京セラ前駅は、パッと見、秘境駅な感じがしますが、草木で見えない方に大きな工場らしきものが見えました。
次の桜川駅も、見事な景色でした。駅舎も木造で素敵です。
朝日大塚駅は、かの蒲生野の近くです。
額田王が、
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (『万葉集』巻一・二〇)
と詠まれた地です。
とても有名なお話しで、詳しく書きたいところですが、以下の書をどうぞ。
瞑目すれば美しい額田王の姿が見える心地がしました。
当時、薬狩りをした地をここと断定することはできないでせうが、そこから何かを感じることはできます。アカデミズムでは邪道でせうが、感性も大切ですし、感性なき研究はぬくぬくではありません。
日野駅で行き違ひ列車と交換し、列車は水口方面へひた走ります。車窓はにはかに木々の中に入ります。水口松尾駅は近くに住宅はあるものの、自然の中の小駅です。
ここから水口駅、水口石橋駅、水口城南駅と小刻みに停車し、終点の貴生川駅に無事に着きました。
これで近江鉄道、完乗です。乗り潰しまでの計画は大変でしたが、なんとかなりました。
大阪
阪急と能勢電鉄
ここから信楽高原鉄道に乗れますが、過去に乗つてゐるのでただちに草津線に乗り換へます。
ホームに行くと信楽高原鉄道の車両がゐました。
草津駅行きの列車に乗ります。草津線も素敵な景色でした。
さらに草津駅から新快速に乗り、大阪駅へ向かひます。車内があたたかく、つい眠くなります。
大阪駅に着きました。ここから歩いて阪急の大阪梅田駅に行き、今津線および宝塚線に乗ります。
大阪梅田駅に行く途中、路上でYOASOBIの「アイドル」を熱唱する男性がゐましたが、公害レベルの下手さでした。
大阪梅田駅から、西宮北口駅へ行き今津線に乗ります。
南側、今津駅までは前回乗りましたが、宝塚駅までは未乗区間です。車内は、若い女性が多く、外を眺める余裕がありません。座席はロングシートです。痛くてまはり辛い首を横に向けて車窓を見ると、住宅地ばかりです。
仁川駅で多くの人が降り、座席に空きが生まれました。車内は、女性専用車両と思へるくらゐ、女性ばかりです。
武庫川を渡り、宝塚駅に着きました。
最近、何かと話題になつた宝塚。
かたや虐めによる自殺。かたや辞めた子のAV出演(先生から聞きました)。
どの情報も興味ありません。しかし、虐めは許されません。
ここからさらに乗り継ぎます。目の前のホームから出る急行大阪梅田駅行きに乗ります。
余計な話しですが、私の友達に背が高く、ショートカットで、キツい感じの子がゐます。彼女のあだ名は、名前に塚の字が入つてゐないのに、ヅカちやんです(命名、玉川)。
十三時四十分、宝塚駅を出発しました。清荒神駅、売布神社駅、中山観音駅と宗教的な駅が続きます。
私の隣には二十代前半と思しきカツプルが座り、突然sumoのCMの曲を歌ひ出しました。まぎれもなく、あたをかです。
川西能勢口駅に着きました。ここから能勢電鉄に乗ります。一分の乗り換へ時間でしたが、すぐ隣に日生中央駅行きが停まつてをり、無事に乗れました。駅間が短く、一二分で停まります。車窓左手は住宅、右手は自然豊かです。
鼓滝駅に向かふ途中、渓流のやうな猪名川が見えました。一の鳥居駅あたりは、それなりに緑色濃く山の中です。山下駅に近づくと、再び住宅地が現れました。マンションなども見えます。
そして、日生中央駅に来ました。ここも駅前は住宅地です。自然の中の住宅地と言つたところでせうか。なんとなく神戸電鉄のウッディタウンに似てゐるやうな気がしました。すぐに折り返して、今度は妙見口駅へ行きます。
山下駅で二両編成の妙見口駅行きに乗りました。接続がきはめて順調です。
列車は山の中、そして住宅地を駆け抜けて、わづか八分で終点の妙見口駅に着きました。
これで能勢電鉄、完乗です。またまた折り返します。
石橋阪大前駅から箕面線で箕面駅に行きました。
なんか小さくてかわいいやつがヘッドマークにゐました。
車内にもゐます。
駅にも。
懐かしの森友学園
石橋阪大前駅に戻り、庄内駅に来ました。
庄内駅まではかつて来たことがあります。大揉めに揉めてゐた森友学園の瑞穂の国記念小学院を見に行くために来ました。
多くの人が愛国商売人の似非保守といふべき籠池親子に騙されました。そして、彼らも財務省に騙されました。
当時、幼稚園児に教育ニ関スル勅語を教へてゐるといふことで保守界隈から注目されてゐた森友学園。
私は、彼らが有名になる以前から懐疑的でした。
ある教育の研究会で籠池の娘の発言を聞いた時、偽物と断定しました。彼女は、教育ニ関スル勅語や伝統の美名で商売をし、名を売らうとしてゐる、さう感じたのです。結果的に、私の直感は当たりました。
また、彼女らに媚びる老人とおつさん連中。頭が悪いと本気で思ひました。その多くが、籠池が逮捕されて後に、手のひらを返しました。
曰く、「詐欺師」。最初に気づきなさいよ。中には未だに籠池を信じてる救ひやうのない人もゐます。
ちなみに、私が気づいた言論界の女性の法則といふのがあつて、
「若い女性で、見てくれがそれなりに良くて、中身はないけどソレつぽいことを言つてゐる」
とどんなバカでもヨイショしてもらへます(ついでに、ヨイショされて調子に乗る人のほぼ全てはバカです)。具体的には、籠池の娘や三浦瑠麗などがさうです。
保守愛国界隈はそんなのばかりですけどね。くだらない。
大阪モノレール
閑話休題。
庄内駅で折り返し、蛍池駅から大阪モノレールに乗ります。
まづは大阪空港駅に行き、すぐに折り返します。
そして万博記念公園駅で彩都線に乗り、彩都西駅へ行きます。
さらに折り返し、万博記念公園駅から終点の門真市駅へ。
これで大阪モノレールを完乗しました。大阪の外周、その景色は緑と住宅地ですが楽しめました。
千里中央駅のあたりはマンションが林立してゐました。
万博記念公園駅を彩都西駅に向かふ途中、悪趣味な太陽の塔が見えました。
日も沈み始めてゐました。
門真市駅から折り返して、次の大日駅へ行きます。
大日駅に着いた頃には、空も薄暗くなつてゐました。
大日といふと大日本プロレス(一時期ハマりました。血の苦手な玉川ですが…。動画はかなりエグいので注意)を連想するのですが、ここから大阪メトロ谷町線に乗ります。
けふは、終点の八尾南駅まで行き一日の旅程を終へます。途中、喜連瓜破駅といふ有名な難読駅を通りましたが、地下の中です。
西成ウォッチング
さて翌日。
大阪市内の某所の某格安ホテルに泊まつてゐました。治安が悪い?知りません。
昨夜は、入船温泉サウナに入りました。
以前はサウナはなく、昨年の夏に改装工事をしたとか。シャワーの水等も軟水になつてをり、石鹸の泡立ちが良いです。サウナは熱めで、オートロウリュウも付いてゐました。
そして、財布をロッカーに仕舞ひ忘れてゐたのですが、誰かに盗られることもなく、お店の人が確保してゐました。助かりました。流石、皇国の美風は西成に生きてゐました。奇跡です。心身ともにぬくぬくです。
宿に入り、三畳一間のミニマリストにとつて最適・最良の空間に荷物を置きました。
なほ、お手洗ひ等は供用です。
洗面台行つたところ、ここで暮らしてゐるであらうお婆さんが歯磨きにやつてきました。
「おばちやん、ここに住んでるの?」
と聞くと、
「うん」
とうなづきました。
それ以上の会話はありませんでしたし、余計な詮索は相手も嫌でせう。しかしながら、どうしてここに住むやうになつたのか気になります。
早朝、あいりん地区を散歩しました。
旧あいりん地区センターの前には、「おおえんしませんウクライナ(ママ)」といふ看板がありました。この人らは露助からいくらかもらつてゐるのでせうか。それにしても、応援を「おおえん」と書いてゐるところが笑へます。「おうゑん」だつたら、一目置くのですが。
もしかしたら、「おおえん」はしてゐないけど、応援はしてゐるかも知れませんね。
地区センターの裏に行くと、西成警察署の露店禁止の看板の横で多くの露店が出てゐました。
覗いてみると、AVを売つてました。朝(六時頃)からそれらを一心不乱にかき漁るおつさんが滑稽でした。
その中に紛れ混んで、知れつと世界中に愛をワールドメイトといふ邪教で悪ければカルトの本を並べてゐる者もゐました。
近くの飲み屋では、飲み会を開いてゐる人も…。
西成は、相変はらずたくましい街。嫌ひではありませんが、住みたくはありません。
武漢熱が流行る以前、奈良に行く際によく泊まつてゐたのですが、西成は相変はらずでした。当時との違ひは、支那人の旅行者が増えたことです。中よりやや上くらゐのところに泊まるのが支那人の特徴と思つてゐたのですが。
完乗達成とその後
けふはひたすら地下に潜り込み、大阪メトロを完乗します。まづは、動物園前駅で620円のフリーきつぷを買ひました。
地下鉄は面白くないので、ダイジェストです。
動物園前・御堂筋線→なかもず・御堂筋線、北大阪急行→千里中央・大阪モノレール→山田・阪急千里線→北千里・阪急千里線、堺筋線→堺筋本町→弁天町・中央線→大正・大阪環状線→門真南・長堀鶴見緑地線→蒲生四丁目・長堀鶴見緑地線→井高野・今里筋線→今里・今里筋線→南巽・千日前線→野田阪神・千日前線→野田・徒歩→梅田・阪神→西梅田・徒歩→住之江公園
以上の行程で、大阪メトロと阪急を完乗しました。
六時半頃に始め、終はつたのは十三時頃でした。
ここに漏れてゐる大阪メトロの路線は、過去に乗つてゐるので乗りませんでした。
途中、わづかですが阪神にも乗りました。アレがたくさんありました。おーん。
住之江公園で大阪メトロを完乗しました。
住之江公園といへば大阪護國神社が鎮座してゐます。雨のそぼ降る中、うやうやしく参拝し、護国の英霊に拙い「海ゆかば」を奉納いたしました。
さらにタクシーに乗り住吉大社詣でました。タクシーの運転手さん、1,100円の運賃を百円おまけしてくれました。ぬくぬくです。
住吉大社はやまとうたの神様。いやますますにしきしまの道をきはめやうと心を新たにしました。
また四年越しの願ひである、初辰さんを参拝しました。
阪堺線で天王寺駅へ行き、梅田に向かひます。
帰りは大阪梅田駅から阪急で烏丸駅まで行きます。
途中、高槻市駅を出てから通過する水無瀬駅は、後鳥羽上皇をお祀りする水無瀬神宮の最寄り駅です。
畏くも後鳥羽上皇は、歌聖と申し上ぐべき御方です。
また、水無瀬神宮から十分ほど歩くとJR島本駅に着きます。駅前は、楠木正成公がその子、正行公と別れた櫻井の駅です。かの「青葉茂れる櫻井の」の舞台です。
進行方向左手の車窓には、天王山が見えます。楠公を尊敬し、幕末に今楠公と讃へられてゐた真木和泉守保臣が、
大山の 峰の巌に 埋めにけり わが年月の 大和魂
と詠み、割腹された地です。いふまでもなく、歌中の大山は天王山のことです。詳しくは、平泉澄先生の以下の書をどうぞ。
桂駅、ついで烏丸駅に着き、阪急も完乗しました。これで、関西圏の鉄道には全て乗りました。
地下鉄で京都駅に行き、新幹線でうちひさす都に帰ります。
残りの完乗は時間の問題です。
最後までお読みいただき、ありがたうございました。
宣伝になり恐縮ですが、「維新と興亜」誌に「くにおもふうたびと 橘曙覧 下」を載せていただきました。編集部の皆さま、いつもありがたうございます。お手に取つていただけたら幸甚です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?