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まつのことのはのたのしみ 付録 万葉恋の歌

 この記事に目をとめていただき、ありがたうございます。どうか、最後までお付き合ひいただけたら幸甚です。

 さて、『万葉集』は一般的に「三大部立て」をもつてゐるといはれてゐます。すなはち、雑歌、相聞歌、挽歌の三つです。雑歌は公的な場で歌はれた歌、宴席での歌や天皇に奉られた歌などです。相聞歌は、人と人とが通じあふ歌とでもいひませうか。恋人同士であつたり、親子だつたり、様々です。必ずしも男女間とは限りませんでした(『万葉集』巻四参照)。挽歌は棺を挽く際に歌ふ歌といふ意で、人が亡くなつた際に歌はれました。

 今回は、『万葉集』の相聞歌、中でも現代の人でも親しめさうな、それでゐてあまり知られてゐなささうな恋ひの歌を五首、選んでみました(もしかしたら有名かも知れません、ご了承ください)。いにしへ人のことを知るきつかけや、やまとうたを覚える機会になればと願つてゐます。


 まづは、『万葉集』巻十一のこの歌から見てみませう。

 うち日さす 宮路を人は 満ち行けど わが思ふ君は ただ一人のみ (巻十一・二三八二)
 (宮への道は人が満ちあふれてゐるけれど、私が恋ひしく思ふのはただ一人だけです)

 「柿本人麻呂歌集」の歌です。「うち日さす」は「宮」の枕詞です。結句の「ただ一人のみ」といふ言ひ方に、力強さと女性の男性を想ふ情の深さが感じられる一首です。
 「どれだけ世の中に良い男と言はれるやうな人がゐるとても、私がお慕ひするのはただあなた一人だけですよ」。恋する女性とは、かうありたいものですね。本当に大切な人といふは、芸能人やいはゆる俗物的なアーティストのやうな作られた物では決してありません。真に大切な人とは、やはり目の前の人であり、想つてくれてゐる人なのです。


 次の歌を見てみませう。同じく、巻十一からです。

 春やなぎ 葛城山に 立つ雲の 立ちてもゐても 妹をしぞ思ふ (巻十一・二四五三)
 (春のやなぎをかづらにする、葛城山に立つ雲のやうに、立つても座つても彼女のことを想ふ)

 同じく「柿本人麻呂歌集」の歌です。この歌の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、『万葉集』の中で原文では最も短い歌の一つです(他には二四四七番歌の「白玉従手不忘念何畢 白玉を手にまきしより忘れじと思ほゆらくに何か終らむ)。「春やなぎ」の「かづら」から「葛城山」とつなげ、「立つ雲」から「立ちても…」につなげてゐます。高度な技術です。技術以上に、好きな人を想ふと、ゐても立つてもゐられない純粋な男性の心を描いてゐます。
 「ゐても立つてもゐられない」時、それは好きな人から連絡が来ない時、返信がない時などがありませう。さういふ時にソワソワして落ち着かなくなるのは、自然の情です。それだけ相手のことが好きだといふ証拠ですから。そして、返事や連絡があつたら嬉しくなつてしまふ。相手からのメールの返事を見てニヤニヤするのも、また自然の情でありませう。自然の情を大切にしたいものです。


 次は巻十二からです。

 妹に恋ひ い寝ぬ朝開に 吹く風は 妹にし触れば 我さへに触れ (巻十二・二八五八)
 (妻を恋ひしく想ひ、寝られなかつた朝に吹く風は、妻に触れたならば私にも触れて欲しい)

 当時は夫婦別居が当然でした。そして、夜になつたら妻の元に通ふのが、ならひでした(妻問婚)。この男性の妻を想ふ情、純粋なまでに美しく、そして清らかな情に私は強く心を動かされます。「妻に触れた風が私にも触れてほしい」、離れてゐても風を通じてつながつてゐたいといふいにしへびとの純真さに心を打たれませう。今でこそ、携帯電話を通じて恋人同士つながつてゐられますが、当時はいふまでもなくそのやうな便利なものはありません。だからこそ、心情の美と言の葉の美が生まれたのではないでせうか。


 次は巻十四、東歌からです。

 信濃なる 千曲の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ (巻十四・三四〇〇)
 (信濃になる千曲川の小さな石ころだつて、あなたが踏んだのなら宝石として拾ひませう)

 斎藤茂吉の『万葉秀歌』には、この歌を収めてゐません。しかし、尊敬する犬養孝先生は諸書においてこの歌の感動をたびたび述べてゐます。
 この歌について、江戸時代における万葉研究の最高峰をなした鹿持雅澄は『万葉集古義』の中で「人を愛しみ、思ふ心の、深きほどを示したるなり」と述べてゐます。
 この歌については、犬養孝先生の言葉で紹介しませう。

 この歌は、千曲乙女の純情の歌でしょう。映画を見るようですね。「信濃なる」で、信州の山々が映る、その千曲川の中の小石とだんだん絞ってくるでしょう。まるで乙女がそのこいしを見つめているみたい。みつめていて、その小石は彼氏が踏んだんだから、はっとそれを手にとって、胸に抱きかかえて、ああダイヤモンドだわって言っているような感じ。そういう純情ですね。愛する男の踏んだ石は、もうただの石じゃないということでしょう。ただの石じゃなくて、命そのものですね。
 そうすると、これも、ああバカらしいことじゃないか、石は石だよ。石を抱いたってしようがない。そんなことを言っては話にもなりません。やっぱり恋をすればこういうふうにならなければ。だkら、本当の恋というのは、功利的な人、“夢”のない人には出来ませんね。本当の恋になったら、ここまでいかなくては。彼氏の踏んだものならばもう、すべて彼氏の関係のものならみんな好きにならなくてはね。
『万葉の人びと』(新潮社)

 さすがは先生、これ以上のことは私には到底書けません。

 最後に、東歌からもう一首見てみませう。

 子持山 若かへる手の 黄葉つまで 寝もと吾は思ふ 汝はあどか思ふ (巻十四・三四九四)
 (子持ち山の楓の黄葉するまで、一緒に寝やうと思ふけど、お前はどう思ふ)

 子持山は群馬県の中央部にある山です。また万葉時代、「黄葉」は紅ではなく黄の字を使つてゐました。
 共寝に誘つてゐる歌です。男性が女性を共寝に誘ふのだから、することは一つしかありません。この露骨なところに東歌らしさがありませう。すごく大雑把にいふと、「お前とずつと一緒が良い」といふことでもありますね。今では、かういふ誘ひ方は相手を混乱させるだけでせう。

 さて、万葉の恋の歌、如何でしたでせうか。時代や文物の発展の違ひがあつて、恋ひの姿も現代と違ふやうに感じられませう。しかし、本質は変はつてゐないのではないでせうか。本当に大切な人は「ただ一人のみ」だし、好きな人を「立ちてもゐても」思ふ姿は、今も昔も変はらないやうに思はれるのです。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

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