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生きづらさを抜け出した、自分と最強で最高の親友になるススメ。


息子を出産してから、しばらくの日々
わたしは30年間生きてきた中で
自分的には人生のどん底にいた。

人生のどん底は人それぞれで
私的に振り返ると、あの日々は
どん底認定されるのだ。

なにかどん底の出来事が起こった訳ではない。
むしろ、子どもが産まれて育てている
側から見たらいわゆる幸せに映る光景。

何度、通りすがりのおばちゃんに
「幸せねぇ」と言われたことか。

私の心は裏腹で、「誰も分かってはくれない」
なんて卑屈になり孤独になっていた。


とにかく、あの頃の私は
今のままの私じゃだめで、
なんとかして変わりたかった。

なにか大きなものを自分の中に
取り入れて、激変するのを期待していたのだ。


変わりたいと切望する私はますます
生きづらさが加速していくのを体感する。

今までネガティブな感情がグルグル
頭の中を纏わりつき離れなかった。
常に引きずり歩いていた。

そして、ネガティブな感情が湧き上がると
自分を自分で責めていた。
「こんなこと思うなんて私は最低だ」
「なんてひどい奴だ」

ネガティブな感情に思いっきり蓋をして
出てこないようにしていた。


そして、ネガティブな感情を考える自分に
ひどい言葉を浴びせつづける鬼の門番のような
自分が常に見張っていた。

何をやってても楽しくないし、
嬉しいとも思わない。

どれだけやっても報われないし、
みんな敵だ。そう思っていた。


生きづらい。変わりたい。
そう思いながら、私を変えてくれる
何かを探し続けていた。

このままの生きづらさを引きずって
歩く訳にはいかないので、
とにかくもがきながら必死に毎日を
進んでいった。


私は昔から書くことが好きだった。
ノートやペン文房具も好き。
おまけにカフェで過ごすひとり時間も
好きなので、
好きあらば、ノートに気持ちを書き
自分の心と向き合っていた。
そして、ノートに書いた気持ちを
noteで表現する。
すると、同じような境遇の人、
憧れる人、会ってみたいと思う人、
noteの街の素敵な人々との出会いがあった。

そこからノートやnoteを書く
自分時間にどっぷりハマり
もはや趣味、なんなら生きがいとなった。


その時間が、
私と最高で最強の親友にしてくれた
プロセスが全て詰まっている。


書くことで、自分の本心を知り
自分のありのまま、そのままの素直な気持ちを
受け入れられるようになった。


ノートに自分の気持ちを書き殴る中で、
「あぁ、そんなこと思っているんだ」
「へぇー、それは大変だったね」というように
ネガティブな気持ちに対して鬼の門番だった
私に気づき、少しずつ優しくするように
なっていった。
まるで、自分が一番の親友かのように、
優しく、優しく見守り声を掛けた。

ネガティブな気持ちになってはいけない、
思っちゃいけないというのをやめ、
「このノートにだけは本心を書こう」と
心に決めて、自分の本心と徹底的に
向き合った。

どっろどろの汚すぎる気持ちも
書くので、綺麗には書かないし、
定期的に破って捨てる。

どこかで「見られるかも」と思うと
思いっきり書けないのだ。


どん底育児期間中に出会った至福の時間、
ひとり時間に自分の気持ちを書いて向き合う
ということ。
この時間が日々の私を癒し、受け入れ、
自分自身と最高の親友にしてくれた。

書くこと、ひとり時間、
自分の気持ちをまるごと受け入れ聞いてあげること、
自分と親友になること。

私は、どん底期間に一生物の味方を手に入れた。


他人軸でしか生きていなかった私は、
「私はどうしたい?」「本当は?」と
問いかけ続けることにより
次第に、自分軸で生きられるようになってきた。


人の気持ちに敏感で、繊細なところもある私は
完璧バリバリ自分軸という訳にはいかないが、
「自分の気持ち」は大切にできている。



本当の気持ちに蓋をしていないだろうか。

世間の声、周りの目、
あの人が言うから、側から見たら、
普通はこうだから。
日本では、、、

自分の気持ちと徹底的に向き合い
自分の「本当の気持ち」を聞き出してほしい。


周りが結婚しているから、
周りが出産しているから、
周りが就職しているから、
周りが、周りが、周りが、、、

だから自分はどうしたいのさ?


周りを気にしているのは案外
自分だけなのかもしれない。

周りの声に惑わされず、
自分の声を聞き、
本心で動き出せるようになった時、

心の底から、幸せと思える時がくる。


もう、変わりたいと思う自分はいない。

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