図書館のすゝめ
多方面において自分の住む町を気に入っているが、中でも図書館が最高だ。
ワンフロアの延床面積は愛知県内最大、人口1人当たりの貸し出し冊数が全国一になったこともあるのだという。これだけ図書館が充実しているというのは、町として勢いがある証拠だ。行政が文化的な発展に力を注げるのは、町が活性化しているからだ。
さすがにこれ目当てに移り住んだ訳ではなく、何も知らずに永住を決めた。だからこそ、初めて図書館に足を運んだ時の衝撃は凄まじかった。
最新鋭の設備!凄まじい量の蔵書!読書環境!!
「美女と野獣」のベルが、野獣に図書室をプレゼントされた時の気持ちは多分こんな感じだろうな、とあの時を振り返って思う。
以来足繁く通い詰め、多い時は週2以上のペースで本を借りた。コロナ禍には、図書用の滅菌装置も導入された。すげぇ。
「得体の知れぬ病気が流行っている時期に図書館なんて」という方もいるだろうが、わたしにとってそこは、世の閉塞感から解放される唯一の救いの場だった。
定期的な文化的講座、絵本読み聞かせなどイベントも開催され、素晴らしい文化の発信地、交流の場となっている。
魅力はその規模だけでなく、足を運んだ人が「借りたい」と思える仕掛けの数々。運営の気合いを感じる。だからこそ、貸出数という形で結果が出ているのは明らか。
以前、印象的だった特集は「一度も借りられたことのない本コーナー」。呪いの文字のようなフォントで書かれたポップが目を引く。
「僕たちは一度も借りられたことがないんです…」
「初めて借りる人になりませんか」
なんと愉快ではないか。思わず一冊手にとったものの、恐ろしく興味を持てない内容だったのでそっと棚に戻したのだった。(特集だめじゃん)
それにしても、図書館で本を借りるのは何故こんなに楽しいのか。それは、購買行動と流れが同じだからだと思う。
おすすめコーナーや面出しで本がPRされ、それを見て自分で選び、手続きをして、重さを感じながら持ち帰る。
ここまででかなり、消費者心理に働きかけられている感覚がする。ほくほくの気分なのだ。
そこに加え、図書館の本はあくまで借りているもの。返されねばならない。つまり「期間限定」。
だからこそ、読まねば!という思いに駆られ、どうにか本を開く時間を作ろうと思える。(ある種のプレッシャー)
個人的に、大ファンの作家の作品は手元に並べいつでも繰り返し読めるようにしておきたい。でも、話題になっている本、つまり「読んでみたい本」は買うべきではないと思っている。
お恥ずかしい話だがわたしの本棚には、そこに鎮座し早幾星霜、未来永劫開かれぬ定め、という文庫本が何冊も並んでいて完全に景色と化している。先述の「一度も借りられたことがない本」たちと何ら変わらない、気の毒な存在だ。
埃をかぶったそれらを横目に、わたしは図書館から新たに本を借り、こちらの消化に必死である。いつでも読めるから、という言い訳は結局「ごめんけど読む気ないんよ」という隠れた意思の表れでもある。だからこそ、「読んでみたい本は買うな、借りろ!!」
だから、「流行っている」本は基本的に買わない。絶対に図書館で借りる。たとえどれだけ順番待ちだろうと。
以前、ミーハー心で一気に3冊、ヒット作品を予約した。わたしと同じく流行り物に乗っかりたい人々で予約は溢れ、どの作品も自分の借りる順番はおよそ20番目。
そういえば、子どもの頃、テレビの特集で図書館の蔵書について問題提起していた。
人気作品のリクエストに対応するため、図書館がそれを蔵書として何冊も抱えている、という内容だった。渦中の作品について明言こそしていないものの、モザイクがかった表紙は誰が見ても、当時社会現象と化していた「魔法学校を舞台に額に傷のある少年が冒険を繰り広げる物語」だった。こうして図書館で何冊も同じ本を所有・貸し出す状況に対し、書店や出版社側は「これじゃ無料貸本屋ではないか」と憤りの声。子ども心なりに「そりゃごもっとも」と感じたのを覚えている。「図書館の在り方」を考えさせられる特集だった。
我が町の図書館においては、方針なのか規定なのか知らないが、人気作品を何冊も用意する、という対応はしていないらしい。よってわたしが予約した話題の3冊は、単純計算で半年待ち。
そんな待つなら買えよ、と思われました?
違うんだよ、ここが大事なんだよ。
この「順番待ち」という状況は、付加価値を生むのだ。読み手は「ようやく手に入った」と思える。こんなに待ったんだから読まねば!加えて、まだまだ自分の後ろに並ぶ人がいるという優越感。わたしゃ列の先頭、お先に失礼。
そして勿論、返却期限!時間は限られている、そうだ、こんなに待ったんだから、よ、ま、ね、ば!!
そんな訳で予約した3冊のことは頭の片隅に、他の本を読み進めることおよそ半年。
遂に来た、1冊目「自分の親に読んでほしかった本」。育児本である。正直言って予約したのも忘れていた。(おい)
ウェブのマイページで、他の予約本の状況を確認すると、おいおい次も近いうちに来るぞ。そりゃそうだ、どれも待ち人数ほぼ同じだったのだから。必死の思いで読了。読後の充実感たるや。
育児本についての所感もいつかnoteに書きたいと思っている。
そして立て続けにやってきたのは「この世にたやすい仕事はない」。これは小説。とても面白かった…!読んでよかった。でもやはり手元に置く必要はない、という感想。作品自体は10年程前に初刷、テレビドラマ化もされたらしいけど、この度また何かで紹介され(恐らくわたしはそれを見た)、リバイバルヒットしているようだ。「世にも奇妙な物語」を好きな人なんか、特におすすめです。買わなくていいとか言ってるけど。
実はこちらを読み終える前に、予約していた最後の1冊の順番が回ってきてしまい、「この世にたやすい…」を読了した頃にはそのラスト予約本の返却まで結構ギリギリな状況。崖っぷちである。
因みにわたしは速読が出来ないので、普段の読書量は決して多くない。また脳みその容量とポテンシャルの関係で、できれば2回以上読みたいと思っている。そうしないと解像度が低すぎる。人気本は大急ぎで読まねばならないので、その辺が悩ましい。勿論この時は読み返す余裕などない。
さて、予約本3冊目は「東京都同情塔」。芥川賞受賞作品である。これがまじで凄い。とにかく意味分からん。これは褒めている。こんな物が書ける人のことを天才と言うんだろな、と思っていたら作者の九段理江、まさかの同い年で落雷のような衝撃。
創作という人類の永続的な営みに、打ちのめされた。こんな世界を思い描ける人間が、この世にいるという現実に。
そんな気持ちを噛みしめつつ読み進めていたら、なんたる不覚、返却期限が来てしまった…。今日返さねばならん。あと、あと1時間あればきっと読み終えられる…。しかしその時間はもう捻出不可能。わたしは後ろ髪引かれる思いで、「東京都同情塔」を返却ポストに投函した。
スマホで図書館のウェブページを開く。蔵書検索から「東京都同情塔」を選択し、予約ボタンを押す。待ち人数、13名。
どうやら、わたしが「東京都同情塔」の世界観に打ちのめされるのは、またも半年後らしい。
いや、買えよ。
いや、買わんよ。
借りるよ。ご覧なさいよこの予約人数。わたしと同じ価値観の人間がこんなにいるんだよ。図書館って凄いと思わないかい。
古本屋で買うのとはまた違う。図書館で本を借りるのは、それだけで高尚な、価値ある行為だと思っている。根拠はない、感覚だ。
同じ本を、色んな人が手にとって、読み継いでいく。この古めかしいオールドファッションな営みに、言いようのない尊さを感じる。
学校の図書室、地元の古い図書館、この町に引っ越す前の小さな区立図書館。
それぞれの場所にそれぞれの本があって、山のような思い出がある。作品との出会いがある。そしてきっと、わたしと同じような感覚を味わった人たちが大勢いる。1冊の本がハブとなり、人と人とを見えない何かで繋いでいく。たとえ立派な図書館でなくても、そういう機会を与えてくれる場所には価値がある。
うだうだと図書館への愛を語りましたが、本を読みたい人は、こんな理由で、まずは買わずに借りてみるのが良いと思う。
読書の秋なんて言葉がわざわざあるくらいだ、さぁ人々よ本を読もう。そして図書館を愛する人が、ひとりでも増えますように!
最後に。先日、読みたいと思った本を我が図書館が所有していないことが判明。初めて「リクエスト」の制度を使い、購入の依頼をした。承認されればつまり、その本を初めて手にするのはわたしとなるのだ!そしてこれから先、その蔵書を他の誰かが手にする機会が生まれるかもしれないと思うと興奮する!楽しみ!!