「エゴン・シーレ展」で私が感じた芸術の軌跡。
先週末は、上野と表参道で3つの展覧会に行ってきました。
東京都美術館『エゴン・シーレ展』
東京国立博物館『東福寺展』
根津美術館『仏具の世界 信仰と美の形』
今日はアウトプットも兼ねて、行ってきた感想を思いのままに綴ってみようと思います。
専門的な知識や細やかな内容は、私よりもずっと詳しい方々が記事を書かれていると思うので、ここでは「私の目を通して見えた芸術」を率直に書いてみようと思います。
記事をいくつか分けて書く予定なので、よろしければお付き合いください。では。
東京都美術館『エゴン・シーレ展』
私が絵画に興味を持ちはじめたのは、去年の秋ごろ。
まだまだ知らないことがたくさんあって、「エゴン・シーレ」という人物についても、今回の展覧会が、初めて知るきっかけとなりました。
強く印象に残ったのは、やはり20歳頃の自画像
この展覧会のポスターにも使われている、20歳頃に描かれた自画像の数々は、恐らく彼の才能を世に知らしめるきっかけの一つとなったのでしょう。
私が率直に感じたのは、
自分自身に対する葛藤、迷い、苦しみ、しかしそれを肯定しようとする生命の力が、内側と外側で激しくせめぎ合っているようで、観ていてとても苦しい気持ちになりました。
特に「叙情詩人」という自画像は、体と心がバラバラになってしまったようなアンバランスさを強く感じ、胸が痛むような感覚になりました。
このあたりの作品には「死」が目に見える形で描かれており、彼には具体的な感覚を伴う程、「死」という存在が自身の傍にあったのかなと、想像させられます。
足と腰
シーレは裸婦像も多く残しており、今回の展示では裸婦のドローイングなども観ることができました。
私が特に気になったのは、下半身の描き方。
特に、男性も女性も、彼の描く「足と腰」は妙に惹かれるものがあり、人間の骨格の美しさ、肉体の艶めかしさを強く感じることができました。
(私が足フェチだから、というのもあるかもしれません。笑)
抽象的な絵も魅力的
数は多くなかったのですが、個人的に人物画ではない抽象的な絵もすごく魅力的に映りました。
シーレの歴史において最も重要な人物の一人である「グスタフ・クリムト」。展示作品の中には、クリムトの影響を色濃く受けた作品も展示されており、彼らが尊敬し合う間柄だったことが窺えます。
その中の一つである、「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」という作品は、個人的にとても好きな作品で、非常に惹かれる気持ちになりました。
このような作風がどのくらい存在するのかは分からないのですが、他の作品ももっと観てみたいなという思いになりました。
そして、28歳最後の作品
内面を強烈に描く自画像や、あらゆる角度の裸婦像など、精神と肉体、人間というものに向き合い続けたエゴン・シーレ。
そんな彼の後期の作品は、内に秘められた精神性を纏わせつつも、”人間” という形を視覚的に描いている印象が強く、
その作風の変化を思うと、彼はこれからどんな作品を残し、どんな画家人生を歩むのだろう?と、期待せずにはいられない気持ちにさせられます。
28歳。あまりにも早すぎますね。
他にも多くの画家たちの作品が!
想像以上に、シーレ以外の画家たちの作品にも触れることができる、ボリューム満点の展覧会でした。
文章が長くなってきたので、ここはあまり触れないことにしますが、個人的には「クリムト」の作品を初めて目にできたのも、とても嬉しかったことの一つです。
同時期に活躍した画家たちの作品を一緒に観ることで、当時生まれたであろう芸術の化学反応も垣間見ることができ、「アートを学ぶ楽しさ」を体感できた「エゴン・シーレ展」でした。
最後に。
まだまだ書きたいことはたくさんありますが、今日はこの辺で。(本当は一つ一つの絵に対して感想を綴っていきたいくらい。短くまとめるのって難しいですね。)
では、拙い感想になりましたが、
最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございます。
後編へ続く。