【読書感想文】「神との対話1」を読んで
ニール・ドナルド・ウォルシュ著の3部作の1冊目「神との対話1」を読み終えた。
370ページの分厚い本を3日で読み終えたことになる。
その内容は非常に濃いものだった。
改めて本を開くとキリがなくなるので、なるべく引用はせず、今現在私が感じていることを率直に書いてみたいと思う。
まず、この本に書かれていることを一言に要約するとしたら、
「あなたは神である」ということだ。
つまり、これを読んだ私もまた神である、ということなのだ。
そしてこの本に登場する「神」もまた私であり、あなたなのだと。
私たちがこの地球に生まれてきた目的は「経験を通して神であることを思い出すため」なのだと。そのため(自分の存在を確認するため)に二極性、相対性が必要なのだということ。
このあたりはすんなりと入ってきた。
しかし、時々「ン?」と疑問に感じるところがあったのでそれらを書き留めておこう。
まず、本に登場する「神」は私たちと同じ存在なのか、「同じ要素を持った違う存在なのか」ということが今一つわからなかった。やはり同じような質問を著者も「神」にしていたが、「そんなことを聞くようではまだわかっていない」という答えで終わっていた気がするのだ。
そして「マスター」とは具体的にどういう人を指すのかが今一つわからなかった。イエスキリストがその一人であることは確かなのだが、「ほかにもたくさんのマスターがいる」と書かれていた。そして、その人たちは迫害されてきたと。そういう人たちが現在どんな状況なのか?というのも気になった。何せこの本が書かれたのはもう20年以上も前のことだから、状況もずいぶん変わっているはずだ。
次に、これが今の私の一番の疑問と言ってもいいのだが、「最大の悪とは、どんなものも悪ではないと宣言すること」という言葉の意味についてである。「神」は「悪というものは存在しない。ただ何を悪と感じ何を善だと感じるかである」と言っている。
つまり、これもまた「善」の存在を確認するための相対的なものなのだということだ。
「闇がなければ光の存在もわからない」というのと同様に。
つまり、この本の「神」は「善」の存在を知ることを必要としているわけだ。
身体を持たない神がそれを体験するために私たちを創造したというのだ。
「善」の存在を確認する必要があるというのはどういうことなのだろう。
いや、「善そのもの」の存在ではなく、「善を行う力が自分自身にあること」を確認するという意味らしい。
そして、「何を悪とし何を善とするか」が「本当の自分を創造すること」でもあるのだと。
ただ、これは確かかなり序盤のほうに書かれていたのだが、「神」は「自分の存在を知るために経験してみたいと思ったから」人間を創造したというのだ。
つまり、「経験してみたい」という好奇心である。
しかし、それがいつのまにか「神の仕事」という表現になっているのだ。
つまり「使命」というニュアンスである。
そして、「やらなければならないことなど何もない」「義務感で行動してはいけない」と言いつつも「神ならどうするか考えなさい」と言っている。そして「ありたい姿に近づくよう努力することが必要」とも言っているのだ。「ありたい姿」とはもちろん「神としてふさわしい存在」である。
つまり、この世界に「善悪」は存在しないが、神あるいは私たちの中には「善たる愛」が存在するということなのだ。
その「善たる愛」を行うために「悪」という概念があると。
そして、全体を通して気になったのは「レベル」という感覚である。
神も私たちも、そして「マスター」と呼ばれる人たちさえも同じ価値のある存在としながら、「レベルが上がっていくと」とか「まだそのレベル」といった表現もあって、明らかに「上下関係」があるように感じられたのだ。そう感じたということは私が「まだその程度のレベル」なのかもしれないが。
また「すべての人は特別な存在」としながら、「マスターになれば○○ができるようになる」とか、やはり「レベルの差」があることをはっきりと伝えている。
それはもしかしたら「優劣」ではなく「個体差」のようなものなのかもしれないが、「鍛えればできるようになる」とも言っているので、やはり「努力しなさい」と言われているように感じたのだ。
正直な感想として、「あなたたちは神の仕事を成し遂げるために生まれてきたのだから、もっと自覚して頑張りなさい」と言われているようで、なんとなく納得がいかない。
いや、もしかしたらそれも私の勝手な思い違いなのかもしれない。
「1回読んだくらいでは理解できないよ。」という神からのメッセージなのかも。
さらに、本の後半のほうでセックスについて書かれている部分があるのだが、詳しく説明されている割には「結局なんだかよくわからない」という印象なのは、「もしかしたら著者の主観(希望)が入ってるんじゃ?」という疑念からかもしれない。
そういうことも含めて考えると、やはり「ピンときた部分だけ受け取ればよい」ということだろう。少なくとも、この本に書かれていることすべてを鵜呑みにすることはできないということだけは確かだ。
初めてこの本「神との対話1」を読んだ感想はだいたいこんなところだろうか。
2回目の感想がどう変わるのか、楽しみだ。
ただ、3日間で一気に読み終えたということは、
それだけこの本が面白かったということである。
※この感想文はあくまでも私個人の主観によるものであり、本の内容を解説するものではありません。
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桑田華名
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