【読書感想文】「神との対話3」を読んで
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ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話3」をやっと昨日、読み終えた。
初めの2冊よりもさらに分厚くなった3冊目は、「だんだんと」ではなく「急に」難しくなった感があり、全部読んだとはいえ、いまだにその内容をほとんど理解できないまま頭の中に「とりあえず積み重ねられている」といった状態である。
そんなわけで、感想文を書くのは2回目を読んでからにしようかとも思ったのだが、この「1回目を通しただけの第一印象」で何が書けるかという好奇心もあり、今回も率直な感想を書ける範囲で書いてみることにした。
♡*♡*♡
さて、この本「神との対話3」に書かれている内容を一言で表すとしたら、
「すべてはひとつである」ではないだろうか。
この地球を含めた宇宙すべての存在が「一つ」なのだということである。
実はこの本には、1回読んだだけでは到底理解できない内容がぎっしりと詰め込まれているのだが、「つまりどういうことか?」というと「すべてはひとつである」という一言に凝縮されるのだ。
シリーズ3作目のこの本に書かれているテーマは、主に宇宙と地球と神、人間との関係性やそのしくみについてである。
1作目2作目ではほとんど出てこなかった「神聖なる二分法」という言葉が、この本にはしばしば登場する。「二分」という言葉からすると「相対性」や「二極」、「二分割」という言葉と似たようなニュアンスだろうと思ったのだが、どうやらこれが、また少し違っているようなのだ。この本の説明によれば「一見矛盾して見えるものが同時に存在すること」、「一つの存在が分割してバラバラの存在に見えること」らしいが・・・実を言うと私はこれについて、まだよく理解できていない。
そして、「絶対領域には【善】しか存在しないが、相対領域(例えば地球上)には相対的存在としての【悪】が存在する」というのだ。ここで言われている「悪」とは、「善」を知るために人間によって創り出されたものであり、本来は「絶対的な悪」ではない。
ただ、人間はそのこと(神が善を体験するために神の一部としての人間を創造したこと)を忘れているために、絶対的な悪が存在していると思い込んでいるのだ。
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うーん、もしかしてこれが「愛がすべて」ということなのかもしれない。
つまり宇宙は一つの存在、つまり神であり愛である、と。
また、この本の中では「魂」についてもずいぶんくわしく書かれていて、一つ一つの魂は物質的な存在を経験する前に、あらかじめ「経験したいこと」を決めて肉体に宿るのだという。
たとえば「赦(ゆる)すことを経験したい」と決めると、物質的な身体に宿った魂は赦しがたい出来事を経験することになる。
この「経験したいこと」は「神性」だけだから、他に経験できるのは「愛すること」や「尊ぶこと」や「慈しむこと」、「祝福すること」などだろう。
つまり、これらの「神性」を経験するためにはその反対にあることを経験する必要があるのだ。
それが相対的な存在としての【悪】である。というか、「悪に見えるもの」である。
なぜなら「すべては一つ」だから。
そう、つまり「すべてが愛」なのだ。
そうか。
だから「神聖なる二分法」なのだ。
「悪に見えるもの」は「愛をもって悪役を引き受けてくれている」というわけだ。
なるほど。それで「ヒトラーは天国へ行った」と言っているのか。
🌈
「天国と地獄」についても色々な視点から詳しく書かれていたが、私にとって特に目新しいものはなかった。ただ、キリスト教の信者や「神による裁き」を信じている人にとっては受け入れがたいものかもしれない。
それは「神は決して断罪しない」、「神は決して罰を与えない」というものである。
なぜならやはり「すべては神であり愛である」からだ。
つまり、神は自分自身(神の物質的存在である人間)を裁いたり罰したりする必要などないのだと。
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また、この「神の一部が魂として物質的存在に宿り、神性を経験するゲーム」が終わることはないとも書かれている。
そう。これは「ゲーム」なのだ。
だから何度でもやり直せるし、
「成功も失敗もない」のだ。
それに「しなければならないこと」も「してはならないこと」もないのだ。
とは言え、本の後半にいくにしたがって「目覚めて生きていくことの大切さ」がはっきりと伝えられている。
地球という星に生き続けるためには「急がなければならない」と。
でないと「また同じことが起こるだろう」と、アトランティスなどの古代文明で起きたことをさらりと説明している。
私はこれについてあまり詳しくないのだが、地球では過去にも文明が進み過ぎて滅びたことが何度かあるらしいのだ。
本の中ではこの「進み過ぎた文明」のことを「進化と思っていることが【退化】であることもある」と述べている。
「一見原始的な生活」が「本当の進化」である場合もあるのだ、と。
🌿🌿🌿
これについては私も賛成である。コンピュータ制御の車よりも、むしろ手動でグルグル回して窓を開けるような、「押しがけ」できるような古い車のほうがなんとなく安心するし、洗濯機もテレビもない生活が何の苦もなく1年以上続いているのも、もしかしたらそういうことなのかもしれない。言ってみれば、それが「私にとっての進化」なのだ。
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そして、今回私が一番印象的だったのは「神は(神の物質的存在として)人間を創造したが、同時に人間もまた神を創造し続けている」という新しい視点である。
神は物質的な存在としての自分を経験するために人間を創造した。
私たち人間の生きる目的は「真の自分を創造し直すこと」であり、「経験を通して神である自分を実現すること」なのだ。
私たち人間は毎日の生活の中でその瞬間瞬間に選択をしながら、新しい自分を創造しているのだ。つまり、「新しい神」を。
私たちはそのことを自覚して(目覚めて)、つねに「ありたい姿」を選択し続けていくことで「神との完全なる一体化」に近づくことができるのだ、と。
この新たな創造は【非物質的、絶対領域にいる神】と【物質的、相対領域にいる神の一部である人間】の共同創造である。この二つの存在は、どちらが偉いのでもなければどちらが正しいのでもない。どちらが上でもなければどちらが大きいのでもない。
なぜなら、「すべては一つ」だからだ。
これが「神聖なる二分法」を理解する鍵なのかもしれない。
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ほほーう。なんだかんだ言って、けっこう書けたではないか。
やるな私。とは言え・・・
この本の内容をもっと深く理解するにはもう1回、いや2回3回と読む必要がありそうだ。
宇宙とともに変化し続けている自分の解釈が、読むたびごとにどう変化、あるいは「進化」していくのか、またどんな新しい発見をしていくのか、今から楽しみである。
※この感想文はあくまでも私個人の主観によるものであり、本の内容を解説するものではありません。
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桑田華名
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