自分次第のものに目を向ける
こんばんは!Kanaです!
先日「あなたがこれまでの人生で悔しかったことを3つ教えてください」という質問があった。
ある講座の課題なので3つのエピソードとして、提出しなければならない。
わたしにとって、想像以上に難問だった。
そもそも「悔しい!」と感じた次の瞬間に
「じゃあどうしようか?」と解決策を考えてしまったり
そのことの意味を捉え直していたり
過去の記憶として抹消していたり
瞬時に対処できるようになってしまっている。
「ずっと悔しかった」と噛み締めている出来事がないのだ。
これは久しぶりにジャーナリングしがいのある
テーマを与えられたと感じたので
早速時間をとって取り組んだ。
もちろん1日では答えが出なかったので
数日に分けて何回か取り組んでみた。
悔しいと感じる気持ちがないわけではない。
熱心に取り組んでいるゲームがクリアできなければ
悔しいし、再現料理が失敗すれば悔しい。
だがそれは「人生で悔しかったことベスト3」にはなれない。
この”ベスト3は?”と聞かれると途端に難問になるのだ。
じゃあ、と
もっと大きなことを思い返してみると
例えば
わたしは大学受験で第一志望校には行けなかった。
当時は悔しかった。
でも今思い返せば
「あの大学に行った意味」がわかる。
むしろそれが最善で必然だったとさえ認識している。
他には
ドイツ語の講師を旦那さんのお母さんに辞めさせられた時。
なぜわたしの人生まで決められなければいけないのか、と悔しかった。
でも今は
結婚できて幸せだし、あの時はちょうど潮時だったのかも
しれないと思えるようになっている。
ここまでジャーナリングで思い返してみて
悔しい気持ちは大体努力と自分の意味づけによって
対処できてしまうことに気づいて
と書いた。
その後
と書いて、ハッとした。
あーそうか。
悔しいは悔やむという字を使う。
後悔にも使われている。
わたしはあの時、あの子が亡くなったと聞いて
そして、
直接お礼を言いたいことも、話したいこともあったのに・・・
と後悔をしている。
悔しかったことベスト3にこの話を入れるのは
正解ではないかもしれない。
だけど、
今のわたしが出せる一つはこれだと思った。
自分ではどうしようもないことだ。
きっと震災や事故で亡くなった人は悔しかった。
残された遺族だって悔しいはずだ。
自分でどうにかできる悔しいは対処すればいい。
思い通りに行かなくて悔しいなら
いろんなことを試行錯誤して
思い通りになるようにしたらいい。
はずかしめを受けて悔しかったなら
きっと時間が解決してくれるし
違う意味を見出すことができる日が来る。
腹立たしくて諦めがつかないなら
気持ちが整理できるまで向き合ってみればいい。
自分次第のことはいくらでも対処できる。
と、ここまで書いてさらに気づいたのは
エピクテトスのいう自由とは
「自分次第でないものを軽く見ること」だと
言っていたのを思い出した。
そう、これは裏を返すと
「自分でコントロールできることしか
欲望の的にしてはいけない」という教えなのだ。
コントロールできないことを
コントロールしようとするから辛く縛られてしまう。
つまり、わたしにとって
今まで起こった悔しい出来事は
幸いにもほとんどが自分次第のコントロールできること
だったとわかった。
さて、これはわたしの本音。
ジャーナリングして気づけたわたしの思い。
でも、先の質問にはなんて答えよう?
やはりわたしには難問のままだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今日の話があなたにとってお役に立てれば嬉しいです❤️
スキとフォローが励みになります♪
▼Kanaのホームページ
▼Kanaと話してみたい!と思ってくださったらLINEから
▼一番Kanaのことを知ることができるのはここ!