理想を追って生きてきた|『「空気」を読んでも従わない』
『「空気」を読んでも従わない』鴻上 尚史 著
どうしてこんなに周りの目が気になるの?
どうしてこんなに先輩に従わないといけないの?
どうしてこんなにラインやメールが気になるの?
それはあなたが弱いからではなく、すべて理由がある。
そのヒミツを知れば、あなたはうんと生きやすくなる。
「空気 読めねーな!」
自分はそう思われていることが多いと分かっていながら、この歳まで生きてきた。
そのたびに、「読んだうえで、この行動をしてるんだよ!」と胸の中で宣言して生きてきた。
生きづらい世の中だった。
【KY】という言葉が出てきてからは特に。
「時には長いものに巻かれてもいいと教えてあげるほうがよかったかな」
大人になってから母に言われた。
「長いものに巻かれるな。長いものは切ってしまえ!」
「多数決は絶対じゃない。自分の目で見て、耳で聞いて、正しいと思うものを判断しなさい。」
私が幼児の頃からそう言い続けていた母だったから、それを言われたときはさすがに「うそー!!いまさら⁉」と思った。
そうやって生きられる自分だったらもっと人生は楽だっただろうと思うことはこれまでにもよくあったから。
でも、私は生きづらい世の中を生きてきたけれど、息苦しいと思ったことはないし、「長いものに巻かれちゃえばよかった」と後悔したことはない。
それは、今までもなかったし、これからもないだろうと確信に近い予感がある。
ここは日本だ。
だから、日本人が農耕民族であった歴史、村社会であった歴史からこその"世間"なのだとしたら、私は日本のカルチャーとして"世間"が残ることは必ずしも否定的ではない。絶対の神を持たない人が多い日本人にとって、”世間”がなくなることは無秩序になることと等しいのではないかと考える。
でも、世の中は変わった。日本には日本人だけが住んでいるわけではないし、インターネットがある限り日本にも他国の文化が流れ込んでくる。
多様性を認めない限りは個人も国も成長していくことができない世の中だと思う。多様性を認めるということはつい、新しいもの、異質なものを取り入れないといけないような気がしてしまうが、私はそうではないと思っている。
本質は、『本来みんなが多様であることを認める』ということにあるのではないか。人と人とが『敬意』を持ち、『尊重』しあうことにあるのではないか、と。
― 2020年7月31日 読了
《処方》
💊 生きづらいけど変わりたくない
💊 自分の思う「優しさ」や「思いやり」に世間とのギャップを感じる
💊 「ロジハラ」という言葉に違和感を覚える
《印象的な言葉》
ニュースを見れば、世界ではいろんな所でデモが起こっています。
~中略~
「社会」を自分達の理想に近づけようと戦うのです。
「悔しいなあ。悔しいなあ。この竹槍だと、アメリカの飛行機に届かない。悔しいなあ」と、訓練をやめた人がいました。
「お互いにさま」というのは、迷惑をかけたりかけられたりしながら、お互いが助け合って生きていくことです。
~中略~
「人に迷惑をかけない」生き方を目指すのではなく、「あなたと人が幸せになる」生き方を目指すのです。
SNSに写真や文章をアップするのは、「正義の言葉」でも「人の評価」でもなく、あなたがそれを「好きかどうか」「やりたいかどうか」で判断するのです。