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はたらくとは、「ほぼ人生そのもの」

働くとは
「人生そのもの」と言ってしまいそうになる。が、頭に『ほぼ』はつけておこう。
つまり。わたしにとって働くとは、「ほぼ人生そのもの」と、いうことだ。
「仕事の替えはきくが、男の替えはきかない」と言っていた時もありはした。
それでも、今振り返ってみれば、生きることと切り離して考えることはできない。

男女雇用均等法。この法律が人生の扉を開いてくれるに違いない。

胸膨らませて挑んだ就活は惨憺たるものだった。六大学でも国立大学でも、JAL(上智、青山、立教) でもなかった女子にとって、均等法はただの能書きでしかなかった。面接に行けば「その他」と書かれた札より後ろに座らされる。社員らしき人に引率された就活スーツの一行が待機中の我々より先にドアの向こうに吸い込まれていく。学食で聞く話はどれも、これと似たようなものばかりだった。証明写真は高かったので、不採用通知とともに送り返されてくる紙の履歴書に貼った写真を何度も剥がして使った。日曜、月曜の朝日新聞の求人広告を隅から隅まで見た。

不採用通知が100通を超えた3月31日。中途採用として入社が決まった。

仕事ができることが嬉しくて、大した仕事を任されていたわけでもなく、手当も出ないのに、会社に行ったこと覚えている。何ができるわけではないが、何かできることがあるんじゃないかと思っていたのだろう。
初めての大卒女子だったことが原因かどうかわからないが、入社後、同年代女子のいじめにあった。今なら、回避策がわかるが、当時はひたすら耐えるしかなかった。それでもやめないで済んだのは、外部の人とのつながりがあったからだろう。
それにしても、なんという効率の悪い仕事だったことか!まず、すべて手書き。何から何まで。入社2年目にしてFAXが設置された時、「祝い!FAX開通!」という記念すべきFAXはデザイン会社からだった。それでも、印刷に出す原稿は写植を打ってもらわねばならず、小さな修正もデザイナーさんが切り貼りしていた。話し合いを重ね、アナログな制作体制ではあったが、顔の見える暖かみもあった気がする。とにかく、みな原稿をもって走り回っていた。ポジフィルムも同様に持ち歩いていたが、一度疲労困憊して電車に置き忘れ、大泣きした。運よくでてきたからよかったが、生きた心地がしない。というのはこういうことかと妙に納得したことがあった。
そんな熱に浮かれたような仕事をしているうちに、彼氏に女ができた。よって捨てられて海外逃亡。半年後の帰国となった。

「仕事の替えはきくが、男の替えはきかない」

と後輩に話し 始めたのはこの頃からだ。8年越しの恋は終了した。
帰国後契約社員として入社した会社の原稿は手書きからワープロになっていた。夜中の1時15分発の深夜バスに自腹で乗り、翌日9時半に出社するというような日々を3年間ほど続けた。よく体がもったものだ。時給にしたら最低賃金以下だったろう。ある日、公衆電話から会社に電話したら、先輩男性社員の説教がはじまり、3時間分100円玉を費やした。ありえん。結婚に踏み切った理由のひとつに、こんなやつと一緒に仕事したくない!があった。その後エスカレートしたいじめのさなか妊娠、産休取得となった。この時も社外の人間に助けられた。上司には、社員化された途端、結婚、出産となり怒られはしたが、会社で初めて産休を主張した意義はあったと思いたい。

育児休暇から戻ってみたら、元いた部は解散になっていた。

寄せ集め新設部署は居心地がよかったが、ここも2年足らずで解散。毎日何もすることがない、名もない部署に配属。あまりの理不尽さに転職活動を始めたが、育児中の身にフィットするような職場を見つけることはできなかった。世はようやくインターネットが出始めた頃だった。二人目を妊娠。再び産休育休取得。
二度目に戻るタイミングで会社が移転。通勤所要時間は2時間となった。毎日往復2冊本を読めた。異動になった部署は会社の中枢をなす部署ではあったが、問題も山積みの部署だった。またしても、伝票をすべて手書きするという石器時代のような日々。ボールペンのインクを何本も空にする経験はあれからしていない。

「言われたこと以外やらなくていい」

定年間近の先輩女性はこう言い切って、毎日退社時間までPCゲームをしていた。創意工夫することを禁じられることがどれだけ苦痛か知った。先輩が定年した途端、手書きはPC処理になり、様々なソフトを使用できるようになった。子供たちが小学校に入学する頃、何回目かのデジタル化の波が来て、23寺に会社を出るような日々が続くようになった。実家の母が子供たちの面倒をみてくれてありがたかった。今まで、蓋してきた何かが頭をもたげてきたようで、がむしゃらに仕事に向かった。
ある日、管理職になった。ふと気が付くとアラフィフ。新入社員を育てる一方、定年後の継続雇用者の面倒を任せられた。「会社に必要とされていない。」そんな風に思わないように、しないように、心を配ったはずだった。会社で過ごす時間が、有意義で、実り多いものであるように。祈りにも近い気持ちがあった。それなのに、うまくいかず、途中手放してしまった部下もいた。育て上げて他部署に巣立っていった者もいる。縁あって一緒に働いた人に幸あれと願わずにいられない。

働き続けられてよかった。

と今思う。運よくまわりの力を借りることができたから。
男女雇用均等法一期生として、心の底からそう思う。
働くことの何が楽しかったのか?
窓際お局OLとしてもう少し考えてみることにする。
時代はテレワーク。世の中は急速に変化した。面白いじゃないか。と思う。
キャリアコンサルタント資格も取得した。子育て支援資格も取得した。ライフサイクルを考えられる資格も。
誰か道に迷った時に、横に座って話を聞いてあげることはできるかもしれない。

輝かしい業績があったわけではないが、色々あった。
働くと決めた諸君。我々を乗り越えていきたまえ。
ご同輩、まだ、あと少しがんばりましょうや。
先輩たち、後ろ姿追いかけます。

@月のきれいな晩に


 
 

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