瞑想はじめました。
気づけばまた半年近く放置していましたが、今年もあっという間に半分が終わりそうな気がしています。
「冷やし中華はじめました」みたいな軽いノリではなく、3か月ぐらい前から月2回ぐらいのペースで、結構真面目にマンツーマンのヨガレッスンに通っています。
実は6年位前に高円寺に住んでいた時、銀座の某大手スタジオにも行っていたのですが、周りが気になって集中できなかったことと、自分の求めている内容ではなかったこともあり暫く忘れていました。
再びやろうかなと思ったきっかけは、今の仕事を始めてから他人の人生や価値観に触れていく中で、嫌でも自身の課題や向き合う姿勢を突き付けられ、日々どのように判断し、仕事や生活をしていくのかが常に問われているなと感じたからです。あと、ストレスから吐き気やめまいもぶり返してきたので、自律神経を整える意味でも期待していました。
できれば市内でと探していたところ、割と近くの個人宅で行っているスタジオがあり、一般的なヨガマットの上でポーズを取るものだけではなく、ヨガ哲学・セラピーを学べるところだったので受けることにしました。
ヨガセラピーの体験で伺い、最初はインテークやアセスメントみたいなこれまでの経緯や悩んでいること、ヨガを通してどうなっていきたいのかを話しました。イメージだと、すぐに目を閉じてあれこれ指導を受けながらできるんだろうなと思っていましたが、「バガヴァットギーター」という5000年くらい前からあるヴェーダ(経典)を学びつつ、自己の存在から見直していくことが本当の瞑想ということらしく、流行りのマインドフルネスは表面的なものだと話されていました。
経典がヒンドゥー教ベースなのと、セッションの中でマントラ(真言)を唱えることがあるとあったのでかなり抵抗があったのですが、よくよく話を伺うとイスラム教や仏教徒なども同じ場で修行を行っているし、それぞれの信じる神や哲理は異なっていても良く、グレーを認める柔軟なものとのことでした。
また、ヨガの語源がサンスクリット語でユジュ(繋ぐ)という意味らしく、調和の思想であり「自分のための宗教」とのフレーズが自分の中で響きました。
さっそく本を購入し、読んでみると対話形式で進められ、それぞれの登場人物が人間や世界、宇宙の本質の比喩として描かれていました。
僕も自分の意思ではなかったけど、ベースとしては多少なりとも持っていたので、「うちの考え方と通ずるものがあるな」と感じたり、「こういう解釈かな」と思い先生に考えや疑問を毎回のレッスンで確認しながら理解を深めています。
ただ、ヨガ哲学だけですべての問題が解決するとか、完全な哲学だと思っているわけではなく、納得できないものもいくつかあります。なので、今の自分にはないものの見方だったり、思想が異なっても共通する普遍的なものを確認するツールとして学んでいます。
自分のルーツと異なるものを学んだり、取り入れたりすることによって逆に今まで以上に自分の足元が明らかになる経験はしてきたので、無駄にはならないと思うし、未熟ながらも「ソーシャルワーク」の中に組み込んでいったら面白いんじゃないかなとも感じています。
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