本物の自己肯定は、絶望と向き合った先にある。
「不安だから、頑張るんだなあ」
「不安だから、対立するんだなあ」
「不安だから、答えに縋るんだなあ」
「不安だから、心が動かないんだなあ」
1度絶望を経験し、深く自分の心と向き合う経験をして以降、多くの人の不安に対する防衛反応を感じ取るようになった。
みんな、不安で、みんな、自信がないんだ。
そんなことに気付くと、みんな素のままで素晴らしいものを持っているんだから、もっと生き生きと生きれたら良いなと思う。同じ想い人も一定数いるんじゃないかなと思う。
実際に、人は自信があると生まれ変わる。
大学時代から一貫して人の成長に関わる活動をしてきて、自信によって生まれ変わり、楽しく能力を発揮する姿をたくさん見てきた。
地頭やコミュニケーション能力など、誤差なのではないか、というくらい自信の影響度は大きく、仕事に留まらず恋愛などにおいても、自信の力は強力だ。
実際にサイバーエージェントの人事部長の曽山さんも、若手育成で1番重要な点を「自信」をつけることと話している。
でも、現実は自信なんて中々手に入らない。
かくいう私も、心理学を学び、「自信」や「ポジティブシンキング」の有用性を知りながらも、長い間「まやかしの自信」に囚われ、生きづらい日々を送っていた。
そんな経験から、このnoteでは自信にまつわる「自己肯定感」の話をしようと思う。
1.まやかしの「自信」
「私は周りと比べて劣っている」
「私は愛されない人間である」
「私は価値のない人間である」
「そして、辛い」
多くの人は人生を通して、1度くらいはこのような感情に出会ったことがあるはずだ。
生存を目指す生物としての観点で見ると「愛されないこと、周りと比較して劣っていること」は、死活問題である。
ゆえに、体と心に「辛い」感情を与えて、発破をかける。
そうして、元来は怠惰な私たち人間はモチベーションを生み出し、自らの成長や、他者からの承認のために、必死になって行動する。
「自分を肯定する材料が欲しい」
「親や先生に見放されたくない」
「友人に劣っていると思われたくない」
の思い一心で、好きでもない受験勉強に対して、多くの受験生は狂気的に時間をつぎ込む。
失敗したら「人生終わり」ほどの絶望感を味わうことになる。
大学入学後は、
「よくあんなに勉強できたな」
「浪人なんて大したことなかったな」
などと思う人も多いだろう。
いかに「不安」起点の異常な心理状態が「受験システム」によって生み出されているのか実感する。
人は、自信を結果で得ようとするのだ。
「このままの自分ではダメだ」と自己否定を行い、ストレスでモチベーションを買い、能力を高めたり、外見を磨くことで、不安を解消しようとする。
そうやって成功体験を得ると「やればできるかもしれない!」という自信がつき、「もっと頑張ろう」と正の学習が働き、更に成長しようと試みるようになる。
また時にはSNSで「充実している自分」「幸せな自分」「スキルのある自分」を発信することで、「価値がない」と思われないように、発信に励む。
自分は容姿が良いし、フォロワーが多いし、友達が多いし、学歴が良いし、年収が良いし、みんなが羨む組織に所属しているから大丈夫だ。
そうやって”まやかしの自信”を獲得する。
そんな”まやかしの自信”を渇望して努力する。
2.自己肯定感と自己効力感
しかし、人間とは不思議なもので、明らかに「ハイスペック」なのに心が見満たされていない人は多い。
難関大生や一流企業の人でも、
自信のなさそうな人
(本心は自信なく)強そうに振る舞う人
とはよく出会うし、学歴や年収などのスペックと関係なく魅力的な人でも、自信のない人ともよく出会う。
"まやかしの自信"には、際限がないのだ。
結果を出すことで「一時の喜び」や「安心」は得ることができる。
が、その反作用で「成功=正、失敗=悪」と学習し、更なる成功を求めるようになる。そして周りの評価や期待値も上がる中で、失敗がより怖くなる。
結果として、失敗を避けるように勝ちパターンである「自己否定」を繰り替えすようになる。
プライドとプレッシャーも増え続ける。
普段お洒落な人は、急にダサい恰好しづらい。
普段優秀な人は、出来ない姿を見せづらい。
普段優しいキャラの人は、急に怒りずらい。
人は普段と違う自分の姿を見せることに、多大なストレスを伴う。
アイデンティティを守ることに必死なのだ。
心の隙間を埋めるべく、
お洒落
優しい
優秀
勤勉
誰からも愛される人
そんな完璧を目指し、他者評価を得たとて、本当の自分とのギャップや、更なる期待値へのプレッシャーに苦しむことが往々にしてある。
他者評価を求め、自己否定によってモチベーションを高め、成功を追い求めて得た"まやかしの自信"では、本心から満たされずらいのだ。
ではどうすればよいのかというと、自己肯定感を上げる必要がある。
自信は大きく2つにわけることができる。
この自己肯定感が非常に重要なのだ。
なぜなら、ありのままの自分を肯定できないと、他者評価でしか自分を肯定することができない。
その結果として、
常に自分を責め続ける
自分に厳しい分、他人に厳しくなる
自分の感覚より、他者基準で生きる
1度自信を得ても、すぐ揺らぐ
ストレスがつきまとう
ことになる。
皮肉なことに、成長のための「自己否定」が、ありのままを肯定する「自己肯定感」を下げる作用が働くことで、自信を求めるほど、自信を失う構造になっていたのだ。
自己肯定感の低い人が恋愛をすると、
「ありのままの自分でダメだ」という信念から、魅力的な自分を演じることで「努力したことで魅力的な自分」ならば好かれることを理解する。
一方で、愛されているのは「努力したことで魅力的な自分」であり「ありのままの自分」ではない。
ゆえに、心から愛情を感じることができない。
結果として、常に満たされない上、魅力的であり続けなければとプレッシャーに苛まれ、居心地が悪くなり、長続きしなくなってしまう。
一方で自己効力感を高めて、自分で自分のことが肯定できるようになると、
日々の幸福度が上がる
他者評価に依存せず、自分らしく生きれる
他者のありのままも肯定できるようになる
フラットに物事を見れるようになる
不安でなく、好奇心や愛で行動できる
ようになる。
これがまやかしの"自信"に頼らず、しなやかに生きるための、自己肯定感の正体である。
3.自己肯定は絶望を受け入れること
しかし、ありのままの自分を受け入れるのは、非常に難しい。
弱い自分ではいけないという、プライドが許さないからだ。
ありのままの自分を受け入れて、現状に満足して、弱い自分になってしまうことが怖い。今まで弱い自分を改善するための、努力を否定してしまうのが、怖い。
はたまた、本当は何物でもない自分を認めるのが怖い。自分が間違っていることを否定するのが怖い。
ただ、本物の自己肯定とは、弱い自分も肯定することである。
「自分はありのままで素晴らしいんだ!こんな長所を持っているんだ!他人と比べて、○○が優れているんだ!自分には才能があるんだ!」
では自分の「弱さ」から目を背け、「強さ」だけを肯定していることになる。それでは、本物の自己肯定にならない。
だから、絶望しなくてはいけない。
現実を受け止めなくてはいけない。
「容姿もそんな良くない。性格も良くない。仕事も大してできない。でもプライドが高くて、それでも努力はできない。1人では生きていけない。結局、何者にも慣れていない。そして、そんな自分が嫌いだ」
そう、私は思っているんだなあ。でも、それが私だし、受け止めよう。
「こうあらなくてはならない」という執着を手放し、現実にある絶望を受け入れることで、先に進むことができるのだ。
全てを受け入れると、心が軽くなる。
なぜなら、脳は弱い自分も認めてほしいと思っているからだ。
劣っていて辛い
他の人に嫉妬する
頑張りたくない
そんな感情も、脳が生存のために、発したサインなのである。そんなサインに見て見ぬふりをし、強がったり、良い事実だけを見ても、脳は満たされずに、アラートを発し続けることになる。
そんな現実逃避の状態が続くと、脳は体や心にダメージを与えることで、自分を守ろうとする。
だから、まずはありのままの感情と事実を、全て受け止めよう。
それでも、第3者視点の自分が、ありのままの自分に共感するイメージで、感情そのものを認めることで、少しずつ自己肯定の感覚が身についていくものである。
そうすると、脳は安心して、落ち着く。
あなたの容姿は、すぐに変わらない。
あなたの性格は、すぐに変わらない。
あなたの感性は、すぐに変わらない。
あなたの知性は、すぐに変わらない。
終わった過去も、変えることはできない。
そんな事実を、真正面から受け入れて、高すぎる自分の理想、ありのままだと嫌われる恐怖、結果や肩書に対する執着を手放す。
1度絶望した先に、大きな変化が待っている。
4.既に在るものに目を向ける
しかし、絶望するほど、自分はダメな存在だろうか。
人生は、悪いことしか、怒らないだろうか。
絶望したときに、ふと問いかけてみると、ありのままの自分でも、既に持っているものは多いのではないか。
信頼できる家族・友達がいるじゃないか
ご飯は美味しいじゃないか
自然を歩くと気持ちいいじゃないか
趣味や好きなこともあるじゃないか
成功したこともあるじゃないか
努力する力があるじゃないか
あの人を思いやってるじゃないか
たくさん感謝されてきたじゃないか
やりたいこともたくさんあるじゃないか
1度絶望し、等身大の自分のフィルターを通してみると、ありのままの自分でも、意外と多くを持っているものである。
元来、人間は素晴らしい力を持っている。
幼少期は好奇心を持って、新しいことを学び、夢中になって外を駆け回り、人に優しくすることができていた。
ただそれが、大人の事情や、周囲の声に触れることにより、勉強は「好奇心」で行うものから「評価」のために行うものにすり替わり、努力は夢中になって行うことから、「不安解消」のために行うものにすり替わってしまっているだけだ。
自己否定をしなくても、成長できる。
自己否定をしなくても、幸せになれる。
他人の基準に染まらず、自分の意志で生きる。
そんなことを体で理解し、自分の基準で人生を選べるようになることが、"まやかしの自信"ではない"本当の自信”を手に入れることだと思う。
※自己否定しないとは、自分のできない点を否定せず目を背けるのではなく、自分を否定する感情、汚い感情を受け入れて、肯定すること
今ある絶望を受け入れ、今あるものに目を向け、自然体で生きていこう。
人間はみな、素晴らしい力を持っているのだから。
▼あとがき▼
自己肯定感は、すぐに上がるものでも、簡単に上がるものでもありません。ただ、少しでもこのnoteを読んで感じることがあれば、ぜひ下記書籍を読んでみてください。
そして、コメント、シェア、スキも頂けましたら嬉しいです。
▼参考書籍▼
☆1番noteの内容に近い1冊
☆その他
▼幸せについて書いたnote