隠士が住まう場所 ー白幽子巌居之跡ー
前回のハイキングで巡った史跡の紹介、第二弾です。
一乗寺駅から瓜生山(うりゅうさん)に登り、江戸時代前~中期の隠士の白幽子(はくゆうし・?~1709)が住んでいた場所を訪れてみました。
第一弾はコチラ↓
アクセス
白幽子とは
白幽子は、江戸時代前~中期の隠士です。
隠士とは、俗世を離れて一人で生活する人物のことです。
第一弾で紹介しました、一乗寺に詩仙堂を築いた漢詩人、石川丈山(いしかわ-じょうざん)に弟子入りしました。
老年に詩仙堂に住んでいた時期もありましたが、その後は京都白川の山の中に庵を結んで生活しました。
白幽子と白隠『夜船閑話』
白幽子といえば、江戸時代前~中期の禅僧、白隠慧鶴(はくいん-えかく・1685~1769)が著した仏教書『夜船閑話』に登場する人物として知っている方もいるかもしれません。
『夜船閑話』は、修行中に病気にかかった白隠が、山中の白幽子の元をたずね、独自の健康法で病気を克服した体験談を綴ったものです。
白幽子は、白隠に健康法を伝授した人物として伝えられています。
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白幽子巌居之蹟
その白幽子の住まいを指し示す石碑がこちら!
本当に山の中にありました…
瓜生山の中には「京都一周トレイル」の立札や案内板があるとはいえ、ガッツリ山道なので、途中少し迷いつつ、道標を見つつ、google地図で方角を意識して歩きつつなどして、ようやく辿り着くことができました。
碑の表は所々えぐれていますが「白幽子巌居之蹟」とあり、
碑の裏は、やはりえぐれていて読みにくいですが、この碑が建てられた経緯が彫られています。
碑文は、白幽子の略歴と、ここが彼の晩年の隠居地であること、
そして白隠がここで「内観修養之法」という健康法を得た、ということを伝えています。
碑文を建てたのは、江戸時代末期~大正時代の画家の富岡鉄斎(とみおか-てっさい・1836~1924)です。
実は、実際に白幽子と白隠が出会ったのか、健康法は本当に白幽子が考案したものなのかは疑わしいようです。
ただ、そのような逸話が残っている白幽子の住まいがこのように史跡になっていると、
「ここまで白隠は一生懸命探し歩いたのかな…」
「白幽子はここでどんな暮らしをしていたのかな…」
と、色々と想像が膨らんでしまいます。
隠士がかつて住んでいた場所、
一見するとただの山の中ですが、
碑の周囲はどこか神聖さを感じることができて、身が引き締まる想いがしました。
最後は、皆でお辞儀をして立ち去りました。
参考
・『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 より「白幽子」
・京都市歴史資料館情報提供システム フィールド・ミュージアム京都
白幽子巌居蹟
2023.1.16現在