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タイタンと亀井水~観察という情熱の宇宙
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亀井水と土星の衛星タイタン。
タイタンを観察するために、最新技術を総動員して探査機を飛ばします。
一方、亀井水は目の前にあります。
観察するということ。
大都市の真ん中にある、ひとつの石造物。長年無数の人が見ていながら、観察しようとは思いませんでした。
時には、これは何時できたのですか、と問いかける人もあります。聖徳太子がお造りになったものです、と答えても、思考はそこで停止します。そこから先は、絶句、あるいは無視するしかない。
知識、として共有するためには、観察、調査、分析、推理、報告、再検証、論理化、再記述、と長いステップがあります。そのどこかで、何らかの仮説が必要になります。
常識から考えて、という場合も、その常識が仮説であるわけです。
科学は、絶対の真理というものとは、一線を画した上で成り立ってきた、知的方法です。観察、実験、推理、記述、のどこかに、仮説というものが基礎として潜んでいる。仮説を自覚して、明示する、というのが科学の基礎です。
四天王寺の伝統である彼岸の夕陽礼拝。聖徳太子の舎利信仰の元である、太子二歳伝説の朝日の礼拝。四天王寺信仰の二つの大河は、ともに太陽信仰とまとめられます。
それと、地下水の信仰が交われば、ひとつの強固な仮説が生まれる。
その仮説に至るまでに、亀井水の明治以前の姿の再現。その幾何学的構造の解明。遠近法による、水鏡としての設計。
という段階を踏む十年間があり、太陽礼拝の水鏡である、という、前例のない仮説にいたるわけです。
水のイマジネーションは、鏡として、天空、宇宙と常に交わる。
古来、水の聖霊は、蛇、龍神として拡散してゆきました。四天王寺の地下にも龍神が潜む。そのイマジネーションは、ややもすると忘れがちです。
四天王寺創建にあたり、なぜ龍神伝説が伝えられてきたのか。
亀井水の太陽礼拝の、遠景には、生駒山地があります。太陽は、生駒山地を巡り、四季の暦となります。
生駒山地に、創建時の人々が寄せていた思いは何なのか。
生駒山頂部に潜む、ニギハヤヒと后ミカシギヤ、その兄トミヒコの歴史。
石切神社上の社で、ミカシギヤに出会ったときに、思わず涙しました。
亀井水は、ミケカシギヤヒメつまり推古帝の名前の起源に導いてくれました。
四天王寺の創建者たちは、歴史のなかに、トミの国を見定めていた。
トミヒコと妹ミカシギヤ、隕石を意味する男ニギハヤヒの訪れによる、新たな王権の始まり。
トミを中心とした、歴史の読み直し。
隕石の大王ニギハヤヒの来歴。
トミは蛇であり、同時に宇宙を駆ける龍神である。
諏訪の神が、タケミナカタトミ、である。
三世紀の隕石の記録と、津波神話。
南西諸島の常世伝承。中国との貝の交易。
亀井水から展開する、新たな仮説。東西にひろがる、水と太陽信仰の古代史。
というわけで、邪馬壱国の候補地として、沖縄が無視できなくなります。
風が吹いたら桶屋がもうかる。という、詭弁の笑い話があります。論理展開のなかの仮説を明示しないで、理論が迷走する、わかりやすい実例です。
私は、桶屋か否か。