亀井水と太陽祭祀、四天王寺の鷹伝説と処暑の日の豊穣の祈り。
手作り模型で再現
慈円は、亀井水に映る月を歌っています。つまり、平安時代末まで亀井水は野外の祭祀場であり、お堂は無かった。ではどこから礼拝されていたのだろうか。今も古代の工法を遺す、亀井堂裏の石垣の上からではないか。
石垣の上から見下ろす前提で、古代高麗尺の一間(212㎝亀井の身長でもある)単位の座標で製図しました。
すると、影向井と亀井の水面の縦横比率が距離と高さの比率と一致します。つまり、遠近法でバランスよく見えるよう計算されています。
石垣の上から見下ろす角度が、25度から30度。朝、太陽が真東でこの角度になるとき、亀井水は鮮烈に光り輝く。
時期は24節季の穀雨と処暑。穀物の作付けの時期と、収穫の始まる時期。
とくに処暑のいわれには、この時期害鳥となる小鳥を鷹が神に捧げる、とあります。四天王寺には、聖徳太子の魂が鷹となり飛来する、という伝説があります。そのため、金堂の二階の東側に必ず鷹の止まり木という棒が設営されてきました。
そして、この日の日ノ出の位置が、生駒山頂部の、古代より日下、くさかとよばれる地です。東大門がその目印となるよう設営されています。
四天王寺からは、生駒山地が暦の目印となります。日下は日本の国名の起源となり、役行者は生駒で修行を始めます。日本の起源のモニュメントとしての光の亀である。
お堂をのけて、見てみたい!
しかたないから、紙とアルミホイルで模型を作りました。亀井に祭主が立てば、影向井が姿を映す。見事な芸術です。
今年は、8月22日が、二四節気の処暑です。
故事にいわく、この日は鷹が獲物の小鳥を神に捧げる、と言われます。穀物の成育中は害虫を駆除してくれる小鳥たちが、今度は実りを食べてしまう。鷹が小鳥たちを追い払ってくれる。
四天王寺には、聖徳太子の魂が、白い鷹になり飛来する、という伝承があります。そのために、中心伽藍の金堂の二階東側の欄干に、鷹の止まり木という横棒を取り付けてきました。
私は、仮説として、この鷹伝説は、亀井水の処暑の祭りと関係するのではないかと、考えています。
写真は、四天王寺亀井水から見た、朝の日ノ出の方位を、地図に赤線で示してみました。
夏至と冬至のラインに、生駒山地がほぼ収まる。古代信仰では、どの民族も重視する冬至の方位に、亀井水から見ると信貴山があります。ここも、聖徳太子が霊場と定めた重要な地点です。また、夏至の方位は推古天皇の所領、私市(きさいち)です。ここは、ニギハヤヒの一行が天の磐船で来臨し、トミヒコたちと出会いヤマトの国造りをはじめた聖地ともされています。私市から信貴山、四天王寺の亀井水から礼拝する日の出の山、生駒山地はみごとな歴史スペクタクルです。
そして、初夏の穀雨と、処暑の日ノ出の地点が、生駒山頂となります。ここは、くさか、日下、つまり、ヒノモト、と呼ばれた、古代日本の象徴的な、地点です。
このヒノモトから昇る太陽が、真東に達したときの高さが、亀井水を見下ろす二つの石槽の遠近法による縦横の水面の比率の三角関数、25°から30°にほぼ一致して、水鏡として激しく輝きます。
穀物の植え付けの時期、穀雨。
収穫に向けた祈りの時期、処暑。
亀井水の幾何学的構造は、生駒山の太陽祭祀により、緻密に計算されていたわけです。
鷹の止まり木
四天王寺金堂の東面二階の、目立たないが重要な、鷹の止まり木。私のガラケーでは、撮影不可能で、ある方の投稿からいただいていました。その古い写真と、新しい写真です。
私の好みは、以前の素朴な方がいいなあ、とおもいます。新しい鷹の止まり木は、作り込みすぎて、なんだかなあ、です。
定説は、守屋の怨霊がキツツキの大群となり、寺を襲撃する。すると、聖徳太子の魂が白い鷹となって飛来し、キツツキを追い払う。というもの。
まず、本州のキツツキは、小さなコゲラであり、大伽藍を破壊するパワーはない。
なぜ、東面に取り付けるのか、もわからない。
で。
亀井水の朝の太陽祭祀を前提とすれば、白い鷹は太陽のシンボルと考えると、なるほど東面だな、と私は考えます。白い鳥は、金属製錬のふいごと関わりがあるとも考えられています。太陽は溶けた金属のかたまりともイメージされます。
谷川健一『四天王寺の鷹』
「広々と開放されている四天王寺で、私は人間の精神の開放感をつよく感じる。その一方私には四天王寺の境内を吹き抜ける空無の風のようなものが快よい。慈悲と虚無は紙一重であるとさえ思う」
谷川民俗学の集大成とされる、名著「四天王寺の鷹」のあとがきより。
四天王寺の鷹伝説は、この作品が世に出るまで、知られることはなかった。鷹伝説の重要性は、幾度もの再建をへて、金堂の二階東に忘れず設営されてきた目立たない棒、鷹の止まり木が実証する。
しかし、谷川先生は、亀井水にはきがつかないで、四天王寺を去られた。
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聖徳太子の魂が白い鷹となり飛来する。
私はこの伝説のなかに、亀井水の重要な役割があると思う。
亀井水は、東の空を映す水鏡である。石垣の上から亀井水を見下ろす角度が、25度から30度。真東の太陽がこの角度で照射するとき、亀井水の輝きはピークに達する。
時期は年二回。春彼岸の一月後の穀雨と、秋彼岸の一月前の処暑の日となる。
穀物の成育を祈る日と、収穫の準備の日となる。
収穫の稔りの時期は、それまで害虫を駆除してくれた小鳥たちが逆に害鳥となる。古来の伝説として、処暑の日、鷹が獲物の小鳥を神に捧げるという。
亀井水の処暑の祀りから、鷹伝説は語りはじめられたのではないか。
鷹の止まり木が、必ず東に向けて設営されるのは、亀井水の太陽祭祀との関係を、強く推測させる。
秋の古字
のぎへん、に亀。秋の古字です。
なんで亀なんだろう。
中国では、殷の時代から亀の甲羅を焼いて、ひびのはいりかたで豊作を占う、亀卜(きぼく)がおこなわれました。用いられた亀甲が出土していますが、あらかじめヒビがはいりやすいように加工がされており、占いというより儀式であったようです。
亀卜は、現在でも日本の宮中儀式としておこなわれます。
秋の豊穣をもたらすのは、亀甲である。だから、のぎへんに亀なのかな。